「セクシー田中さん」の原作者自殺?問題が発端になって、

原作があるドラマや映画と原作者の軽視

について、ネットでもいろいろ意見が飛び交っています。

 

作者が自殺にまで至ってしまったのは、

ネットやSNSの存在も大きいようですね。

 

わたしも漫画・ドラマ友、内容を知らないので

あんまり批判はできないのですが、

 

過去の小説や漫画を

映画化・アニメ化した場合、

たいていは視聴者にとって「もっとよくなった」

というものが多かったかとも感じます。

 

また、

原作とアニメや映画を両方みて

その違いを楽しむということも していました。

アニメと漫画とか、

小説ではカドカワ商法というのもあって、

映画化・ドラマ化したものは

会社も大々的に宣伝して

原作もみんなが見る、

で、その違いを多くの人が知り、楽しむ、

・・・

ですが、

そうではないことも

ちょくちょく起きておった。

 

思い出すのは、

フェミニズムがようやく動き出した頃。

そしてその頃は

「女は結婚してこそ認められる」

という時代。

原作者が

「たいていのドラマは主人公は結婚する。

結婚させないでほしい」と要望して、

ドラマ化されたらなんと、

主人公は「不倫している」という設定だった。

 

これでは

「女が独身では生きられない、

なんらかの形で男が援助している」

という、

作者の思想とは真逆な内容になってしまった。

これは裁判沙汰にもなったが、

そのことについても

「作品が映像化される場合は

もうそれは自分の手を離れた別物と思え」

という意見もあった。

 

まさに、原作者軽視の時代だった。

 

それは現代にも続いている。

 

・・・・

とはいうものの、

「ダイの大冒険」

のアニメ化で衣装が変えられた、

というのは視聴者にとって「安心」できた。

原作ファンにとっては不服だろうとも。

アニメ化となれば、

より多くの人が見る。

当然、フェミニストも見る。

特に「子どもむけ」な時間では、

コンプラや良識や規則に合わせるべきだ

とも思う。

「独身女は不倫させろ」

という

ひどい改変とは違うのだ。

 

そこを理解できないと、

「JR西日本・雀魂広告問題」

「戸定梨香騒ぎ」

が起きるのだ。

・・・

ゴールデンタイムのアニメや

ネット・公共の場の広告とは違って、

 

映画や

大人時間に放映する大人向けドラマや

深夜アニメは

まだ自由な表現は可能だが、

逆にそういうものにこそ

「原作者の軽視」が起きている感じがする。

 

ほんとに、

「自由もたいがいにしろ」

なのだ。

 

例えば、

スタジオジブリの作品だが、

原作者や原作の表記や紹介が小さすぎる。

 

後から我々は

「あれ、原作があったの?」

と気が付くほどだ。

 

その理由は、

原作の大幅改変にもあるらしい。

 

「いちおう原作がありますが、

別物として受け取ってほしいです」

という意識満々だ。

 

ひどいものになると、

「誰と誰は初体験の相手」という、

原作にはない裏設定ができていたり。

 

「魔女の宅配便」は角野栄子氏原作で、

「ハウルの動く城」も原作がある。

「魔女の宅配便」は、

主人公の子どもが成人するまで

話は続いている。

 

「猫の恩返し」は

柊あおい原作の漫画「耳をすませば」が

元になっている。

「耳をすませば」も映画化されている。

 

「ゲド戦記」は

原作者を怒らせたらしい。

我々も怒ったよ。

 

「大魔法使いゲド」は

最後は魔法の力を失っている。

そこに大きな意味があるのだ。

少年時代と青年時代、

テナーとの出会いとその後の物語も

深い内容です。

ぜひ原作の方こそ読んでほしいです。

 

原作があるものを映像化する場合は、

せめてカドカワ並みの

「原作も読んでね」アピールを

するべきだよね。

 

 

 

。。。

最近のブロ主のブログ

 

 

そして下、

リブログ主さんの菊池さんからコメントをいただきまして、

漫画のタイトルには「小学生」とありますが、

内容は、高校生男女の恋愛ドラマ 

ということでした。

怖いタイトルつけないでよぉ、フェミ魂がワジワジするがね。