FB友の「だい」さんより転載させていただきました。

国によって消し去られる「強制連行」、妨害される〈平和の少女像〉

1,国によって消し去ろうとされる「強制連行」

 

 いま「強制連行」という言葉が国の力によって消されようということを、みなさんご存じでしょうか?

 

 2021年4月27日、菅政権はこのような閣議決定を行いました。

 《「強制連行」又は「連行」ではなく「徴用」を用いることが適切である》

 

 この閣議決定を根拠として、教科書から「強制連行」という文字が消されました。国家が歴史と、歴史教育に介入し、権力をもって歴史を書き換えたのです。

 同日、《「従軍慰安婦」という用語を用いることは誤解を招くおそれがある》から《単に「慰安婦」という用語を用いることが適切である》という内容も閣議決定され、やはり教科書から「従軍慰安婦」という言葉が消し去られました。「従軍」という言葉に強制を連想するからだといいますが、そもそも「従軍看護婦」「従軍記者」という言葉に強制の意図が含まれないのと同様、「従軍慰安婦」という言葉そのものに強制の意味を見出すことはできません。「従軍」という言葉を消し去りたい目的は、軍の関与を消し去りたいからです。

 そしてもちろん、「従軍慰安婦」は文字通り、軍に付き従って前線基地までさえも転々としたわけです。「従軍慰安婦」という言葉が不適切と、菅政権に言われる筋合いはどこにもありません。

 

 私たちからすれば「慰安婦」閣議決定だけでも噴飯ものなのですが、このことについてはこれまで何回も水曜デモで触れてきたので、今日は「強制連行」の話に絞りたいと思います。

 

 《「強制連行」又は「連行」ではなく「徴用」を用いることが適切である》

 この閣議決定に至った理由はただ一つ、「強制連行」が1939年に制定された国民徴用令に基づく、つまり合法的だったから「強制連行」ではないというものなのです。そして国民徴用令は「強制労働」を規定したものではないから「強制労働ではない」とまで言い切っているのです。

 実態は強制労働であったのに、法律に書いていないから強制労働ではないなんて、暴論もいいところです。(強制労働させることを明文にした法律なんて作られるわけないじゃないですか。)

 それに合法だったから問題ない? 合法的にひどいことをしていれば、なおさら悪いに決まっています。

 

 神戸でもたくさんの強制連行の現場があります。

 川崎重工兵庫工場・葺合工場、三菱重工神戸造船所、神戸鋳鉄、神戸製鋼、阪神内燃機、大阪ガス神戸支社、中央ゴム、日本制動機、鐘紡神戸造機、川崎車両、川西航空機甲南、神戸船舶荷役、神戸貨物自動車……神戸を代表するたくさんの企業への連行が確認できます。残されている名簿だけでも5300人を超えています。実際にはどのくらいの人が神戸に連れてこられたのか分かりません。川崎重工・三菱重工関係だけでも5000人を超える朝鮮人が連行され、また神戸港の港湾荷役の仕事でも連行がおこなわれました。

 もちろん亡くなった人がいることもわかっています。

 

 今日は兵庫県相生市の播磨造船所(現石川島播磨重工業)に朝鮮半島北部の平安北道から徴用で連行された金明俊さんの証言を読み上げ、みなさまと共有したいと思います。

 

《1944年8月、徴用で平安北道から連行された。徴用の通知は地元の役人によって届けられた。「貧しい生活から逃れるためには行かなければならない」という甘い言葉と同時に、「逃げたら家族に危害を加える」との脅迫も受けた。
 釜山から船で日本に渡り、兵庫県相生市の播磨造船所に着いた。朝鮮人は「至誠寮」に入れられた。
 そこでの日々は、過酷な労働の毎日だった。夜10~11時まで働いた翌日も早朝から働かされた。
 今でも恨みを持っていることがある。与えられた仕事はリベット打ちだった。45年5月のある日、コークスで熱くなったリベットを日本人に渡す作業をしていた時、コークスの熱で蒸し暑くなり、臭いもひどいので気を失ってしまった。翌日は到底、働くことはできない体。にもかかわらず、日本人は「働け」と言い、昼食も半分しかくれなかった。
 朝鮮人の食事はいつも極端に少なく、スプーン2~3杯の量のオカラでは腹が減って耐えられなかった。中には極度の空腹からボロ布を食べようとする人もいた。
 劣悪な労働環境と非人間的な扱いの中で、死者も多数出た。船内作業時、クレーンで運んでいた荷物が同胞の1人に当たり、その人は船から落ちて死んだ。日本人はみな、知らん顔をしていた。
 日本の敗戦で、朝鮮人は奴隷状態から解放された。しかし、給料は働き始めて1カ月後にもらっただけで、後は受け取ったことがない。帰国する際に旅費が少し出た。
 日本政府は、私たちを強制連行し差別したことを謝罪し補償するべきだ。日本政府が過去を清算しない限り、日本によい印象は持てない。》

 

 みなさん、金明俊さんの証言を聴いて、どのように思われましたか?

 確かに、日本政府のいう通り、強制連行は合法的になされました。しかしその実態は強制労働であり、合法だからと開き直れるようなものではありません。

 日本政府は「強制連行」ではなく「徴用」という言葉を使えと言います。しかしこの実態が「徴用」という、あたかも「合法でした、悪いことなど何もなかった」と言わんばかりの単語で、言い表されるようなものでしょうか。

 

 

2,撤去されようとする群馬の「朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑」

 

 消されようとしているのは「強制連行」という言葉だけではありません。

 いま、日本中にある「強制連行」を記憶し、追悼するようなモニュメントや碑文が組織的な攻撃にあい、次々と撤去されるということが起こっています。この動きは安倍政権下で顕著になりました。右翼が日本中にある強制連行のモニュメントのリストを作り、それがある地方自治体に働きかけ、「強制連行などなかった」「ただの徴用で悪いことではない」などと圧力をかけ、次々と撤去させてきたのです。

 特に今、注目されているのが、県立公園「群馬の森」にある朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑です。この碑を題材とした作品が表現の不自由展KOBEでも展示されましたから、見た方もおられるかもしれませんね。

 

「記憶、反省そして友好」と刻まれたそのモニュメントは、2014年、群馬県によって設置期間更新の不許可とされ、決定撤去するよう要求されたのです。2014年というのは、安倍政権がもっとも力の強かった時期でもあります。2013年に在特会による街宣活動や追悼碑撤去を求める県議会への陳情書などの妨害活動が行われ、それに応じた形での県の決定でした。

 

群馬県が撤去の理由としたのは、2012年に碑を管理する市民団体がこの碑の前で追悼集会を開いたときの、ある発言でした。

「強制連行の事実を全国に訴え、正しい歴史認識を持てるようにしたい」

 この言葉を群馬県は「政治的」として、碑の撤去を決めたのです。

 碑を管理する市民団体は撤去の撤回を求めて裁判闘争を闘いましたが、今年6月15日、最高裁判決において県の決定を追認しました。

 

 みなさん、よく考えてみてください。「強制連行の事実を全国に訴え、正しい歴史認識を持てるようにしたい」という発言が「政治的」で、碑の中立性を失わせるような発言なのでしょうか?

 私には到底そうは思えません。群馬県内では朝鮮人6000人以上が軍需工場や鉱山に労働動員され、病気などを含め300〜500人が命を落としたといわれています。そのような歴史的な事実を伝えていくのは、正しいことだし、「政治的」という理由で否定されるようなことでもありません。

 

 何より実際に被害者がいるというのに、被害者を追悼するための碑を撤去するなんて、常識的にはありえません。このような日本の態度を見て、韓国にいる遺族たちがどのような気持ちになるのか、ちょっとでも考えてみたのでしょうか。

「日本は悪いことをしたのに、悪いことをしたとちっとも思っていない」そう思われて当然です。

 

 群馬の追悼碑は裁判もおわり、県は強制代執行する態度を崩しておらず、いつ撤去されてもおかしくない状況が続いています。そして群馬では、いまも撤去させないための運動が続いています。

 

3,アルゼンチンの〈平和の少女像〉を妨害する日本政府

 

  今日は強制連行について語りましたが、もちろん日本軍「慰安婦」問題についても同じことが続いています。

 海外では女性の人権と戦時性暴力の撤廃の象徴として〈平和の少女像〉が建てられていますが、日本の外務省はそれを妨害し続けています。直近の情報ではアルゼンチンのブエノスアイレスに〈平和の少女像〉が建てられる計画があり、すでに日本の外務省が妨害に乗り出しているそうです。

 

〈平和の少女像〉を設置しようと来ているのは「五月広場の母たち」です。この名前をご存知の方もおられると思います。

冷戦下のアルゼンチンではアメリカの支援する軍事政権下にあり、

たくさんの市民や学生が拉致され行方不明となりました。

アルゼンチンの軍事政権がやった最も残虐な行為の中に、

「死のフライト」というものがあります。

軍事政権に反対し拉致した人を飛行機に乗せ、生きたまま海に投げ込まれたのです。ました。

いわゆる「死のフライト」と言われているものです。

 

こういった市民・学生の中には、もちろん多くの女性たちもいました。

 1977年、行方不明になった子や孫の行方の確認を求めて広場に集い、

軍事政権に対して抗議活動を始めたのが「五月広場の母たち」です。

 軍事政権下で子や孫の生存確認を求めて立ち上がった女性たちの平和的な事業に対し、日本の外務省が妨害する。そんな恥知らずな事態になっているのです。

 

海外でさえこうなのですから、日本では〈平和の少女像〉を建てるどころの話ではありません。

 

 みなさん、安倍政権が終わったのに、このような事態を許していていいのでしょうか?

 政治学者の岡野八代さんは、「安倍政権ではなく、安倍体制になってしまった」と言っています。法を無視し、権力を私物化する体制がすでに出来上がっているので、そう簡単にアベ政治は終わらないということです。歴史さえも私物化し書き換えようという企みは、今後も続いていくということです。

 「強制連行の事実を全国に訴え、正しい歴史認識を持てるようにしたい」という至極まっとうな発言さえ「政治的」とレッテルを貼られ、あろうことが裁判所までがそれ追認する。それがアベ体制です。

 

 被害者がいるのにいなかったことにしてしまうことを許していると、また次の被害者が生まれるということです。不幸な歴史が繰り返されるということです。

 私たちは歴史を書き換える企みに抗し続け、アベ体制を終わらせたいと思います。

 

[2022年11月16日 第166回神戸水曜デモアピール原稿]