アサヒマークを付け、リベラルを叩く投稿見出し。

いわゆる、ネトウヨをこじらせたフェミ叩きですね。

「慰安婦」を中傷用語で使用するやり方もひどい。

「慰安婦」とは全員が「合意」で仕事をした人ではない。

レイプ被害者のことでもあるのに。。。

石川さんを中傷した人たちは、

日本人の「慰安婦」や

日本人レイプ被害者もそう呼ぶのか?と聞きたいですね。

アンチフェミ、一部ネトウヨ、ミソジニーは、

日本で貧困や家のため、家長や長男のため、

犠牲になって遊郭へ身売りしたり

からゆきさんになった女性を

こう思っているのです。

どちらが「テロ」なのかと

思います。

他者に反対する意見はあってもいいが、

苦しんだ女性をそのために侮辱する権利は

誰にも無いと思います。

 

顔写真を貼ったり、

他者の投稿を許可なく転載する時点で アメブロ規約違反です。

通報しても、

アメブロは動かない。

・・・・・・・・・・・・・

こういうことをして

フェミニストと呼ばれる投稿者を中傷することが

アメブロで流行っています。

通報しても削除されません。

ツイッターで批判するのが怖いので

アメブロでコソコソするとは

なんという卑劣さでしょうか?

通報しても、

アメブロは動かない。

卑猥語や皇族への不敬や

虚偽の情報での中傷記事もそのままです。

アメブロは弱者を叩き、

ミソジニストに甘いのでしょうか?

下、問題のブログ。石川さんのツイッター記事と

顔写真を貼り付けています。

 

下、では父子家庭も児童虐待をしているは言わないのか?

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石川さんは、エマ・ワトソンのようなことを

言いたかったのだと思う。

わたしも補足させていただきました。

「管理職や政治家に女性が少ないから。

もっと女性を増やそう」

と言うと

「ふさわしくない女がなってもいいのか?」

そんなに日本では「脳無女」

しかいないのか?とも反論される。

そもそも、

そうなったのは。。。。。。

ジェンダー指数が低いのは、

日本では「女は性的なモノである」

「女はかわいく 美しくなければ」

というメッセージが多いから。

再び蒸し返しになるけれども

「月曜日のたわわ」「戸定梨花」「温泉むすめ」

など、

広告も「女は美しくなければいけない」

というメッセージが固定化されている表現だ。

けど、それは女の子むけの雑誌にもある。

女の子の漫画にもある。

「女はかわいく、美しく」

というメッセージが多い国では、

女性が

管理職やスペシャリストや政治家になろうと

志す割合は少ないという。

まさに日本が証明している。

・・・・・・・・・・・・

けれども、それはスカートや

女性のヌード表現を禁止することではない。

そこをフェミニスト自身が誤解していることもあるのだけれど。

ゆえに「女が性暴力を防ぐには

女がスカートと露出的な服装をやめるべきだ」

と、主張してしまうフェミニストも いるにはいた。

だから、そういうフェミは

石川さんの主張には怒っているだろう。

けれど、石川さんの主張、エマ・ワトソンの主張こそが

フェミニズムが目指す所でもあるのだ。

女性が、

「男の薦めるに従う」

「男向けのサービスで性的表現をする」

のではなく、

自分主体・女性主体の表現の性表現や

ヌード表現を確立してゆくこと、

それがフェミニズムの目指す道である。

有名どころでは マドンナもそうだと思う。

が、「性的」「肌の露出」ゆえに

いろいろ誤解もされ、

男性文化に 結局絡めとられ

利用されてしまう側面もあった。

石川さん、誤解もされているだろうが、

試行錯誤してほしい。

そのためには

「累 かさね」(講談社イブニングコミックス)

をお勧めします。

石川さんにあえて「批判」をむけるとすれば、、、

彼女には まだまだ学びが

量的にも質的にも不足している。

もっと幅を広げよ。

 

下、「エマ・ワトソン」記事には ラストの締めにこう書かれている。

「・・・・・・・・・・・・・・・

ジェンダー平等の闘いとは、女性が「選択」を手にするための闘いでもある。

・・・・・・・・・・・・・・

その一つ一つの選択をすることで、ジェンダー平等を求める努力が無駄になることはない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

頭脳明晰な女性、セクシーな女性、生意気な女性、洗練されている女性。どんな女性になるかを自分で選択しながら、男性と同じ金額が支払われることを求める。それがフェミニズムだ。女性は、マルチタスクをこなすのが得意なのかもしれない。もしくは、一定の型にはめられて人間らしさを失うことに、うんざりしているだけなのかもしれないけれど。

ひとつの自己表現をしたことで、他の表現が意味を失うことはない。」

 

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