「呪術廻戦」の登場キャラの中で

「真人」 というのがいる。

容赦なく「力技」で押してくる 「スクナ」とは違い

彼の必殺技は 「魂に触れる」 だ。

 

普通「魂に触れる」というのは

人の心に共感すること、

痛みを理解してくれることである ・・はずだ。

 

しかし彼は

「負の感情」に触れてくる。

そして人は、怪物化して使役され

短時間で死んでゆく。

もしかしたら

他人から受けたトラウマや

自身が持っている「呪う思い」が具現化して

自分をそれにふさわしく変えられてしまう、

というものかもしれない。

 

「真人」という名も意味深長だ。

真なる人。

 

「呪い」などというものも

元々 人から産まれたものだ。

「呪い」そのものである彼らは

人そのものでもある。

 

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「真人」など実在せずとも

人はたやすく「怪物化」してしまう。

それは「魂が触れられた」からだ。

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散々だった先週の「異文化交流」だ。

 

「暴力」と「いじめ」は、それをした者が100パーセント悪い。

が、ケンカというものは

それぞれが悪い。

 

議論もウンコもない。

ただのケンカだった。

 

だから自分も少なからず悪い。

何が悪かったのか

そして再発防止にはどうしたらいいか、

考えてみた。

 

コメントとは、礼儀を忘れずに冷静に丁寧に。

そのつもりだが、

それは自分がそう思っているだけであって

相手が「そうではない」

と感じたら こちらが悪い。

 

普段「慰安婦問題」なんて書かない方が

珍しくお書きになったたので、つい熱量が増えてしまった。

 

自分はコメントを書く資格がないから、

よそ様が書く政治的記事へのコメントは書かない。

と誓った。

何かと物議をかもす コメント欄も封鎖した。

 

「呪術廻戦」

というタイトルも意味が深い。

放った呪いは自分に返ってくる、

いずれにせよ

放った言葉は自分に還ってくる。

正しいものであろうと、まちがったものであろうと。

 

いやはや、さんざんな「異文化交流」だ。

 

そもそも、政治的な内容で「異文化交流」は無茶だ。

日韓米でも「ずれ」があるであろう「慰安婦問題」論議なんて。

アホか!!

相手が日本人でも まずい。

 

映画や音楽、酒を酌み交わす

そこからが一歩だ。

 

「走ってころんで消えない痛み抱いては」

人の痛みは、実際自分が「走ってころんで」しなければ理解できない。

 

派手に転びましたよ。

 

一歩進めば景色は変わる。

それが皆の光になるだろう。

それが皆の兆しになるだろう。

      (B’Z、「光芒」)

 

世界平和はずっと先よ

 

けど、自分が自分の「怪物」を制圧し

自分が自分を超えてゆけば その時が来る。

その思いは変えない。自分は思う。

 

 

 

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お一人から「もうやめませんか」というメッセージをいただいているけど、

その方はメッセージ欄を閉じているので御返事ができない。

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「ありのまま生きるのが正義か」

「騙し騙し生きるのが正義か」

 

「弱い自分を何度でも喰らい尽くす、・・・

僕の中の僕を超える」

の歌詞は名言ですね。

座右の銘となるでしょう。