月曜日、いつもは三越前で「慰安婦」デモがあるのに、
誰も来なかった。
しかし、編み笠姿の侍がサックスを演奏していた。
聴いていたら癒されたのでしばらく居た。
音楽はいい。
すぐに退散しようかと思っていたら
なんだか勇気をもらった。
その日は「MeeToo」と「性暴力絶滅フラワーデモ」の看板を
持ってきたので、それも置いた。
サックス侍のお陰で一人デモができた。
ありがとうございます。
30分くらいいたら首が痛くなった。ずっとこんな調子だ。毎日だ。
でも、できたので感謝しています。
土曜日こそは沖縄デモがありますように。参加したいから。
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先日の記事で年齢の訂正・加筆があります。
「
売春女性の年齢についてですが、
山崎朋子の「サンダカン」に登場するからゆきさんの「サキさん」は、
11歳程で売られ、13歳で客を取らされています。
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公文書にも、慰安婦の年齢に「15歳」という記録があります。
その15歳少女は、子宮頚部に炎症がありました。
子宮頚部の炎症やただれなどの病気は、その他の慰安婦
にもあり、いかに過酷な働き方をしていたかを物語ります。」
日本帝国が海外輸出していた「からゆきさん」という売買春制度は、
「慰安婦制度」のベースになった、ということです。
嶽本新奈氏著の「からゆきさん」によると、
著者は
売春業に就く女性たちは、必ずしも「かわいそう」ではなく、
「ひとつの職業として捉えていた」とし、
年季があければ(前借金を払い終えれば)故郷に帰って結婚もできた、と述べています。
これが、戦前の遊郭制度や慰安婦制度を正当化する「言い訳」にも使われていますが、
嶽本氏の本には、「性感染症」「病気」「借金が返せないケース」
「稼ぎが少ないケース」「故郷に帰れた人、自由になれた人は果たして何パーセントだったのか?」の調査が抜け落ちています。
「売春婦は裕福」「慰安婦とは高級娼婦」と主張する者たちは
慰安所なり遊郭なりを出た女性たちが「裕福ではなかった」ことを
無視しています。
遊郭に連れて来られた理由は
「親兄弟を食べさせるための生活費を前借金し、
それを全部返すため」
なのだから、いったい何がどう「裕福」なのか?
借金を返しても、元からの貧しさは変わらない。
前借金制度
http://fightforjustice.info/?page_id=2429
「借金が返し終わる前に、自殺や性感染症でなくなった」
という記述は0-2
http://fightforjustice.info/?page_id=2431
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日本が統治していた朝鮮にも、さっそく「遊郭」が作られていたそうで、下衆いねーー。
(吉見義明「買春する帝国」参照)
遊郭の女性を「慰安婦」にしたかというと そうではなく、
そこにいた女性たちは性感染症になっている可能性が高いので、
性経験がない若い女性を「軍の仕事がある」「食堂の仕事がある」
と、慰安所が職場であることを隠して連れていったのでした。
ブラック企業ですね。
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嶽本氏によると、「身売り制度」は秀吉が整備し、
当時は「身売り」ではなくて「奉公」と呼ばれていました。
人身売買は当時も禁止でしたが、
「奉公なら合意だから」という抜け道があったのです。
卑劣だね。(嶽本新奈「からゆきさん」参照)
そして、嶽本氏は
「より構造的な暴力で巻き込むシステムとして登場したのが
『慰安婦』制度だった」
と述べています。
https://ameblo.jp/file9zyo/entry-12626318411.html
https://ameblo.jp/file9zyo/entry-12626743366.html
泥憲和さんの慰安婦問題、膨大な資料