先日の投稿について、群青さんからコメントをいただきましたので
掲載させていただきます。
>女性たちは「前借金」という、返すことができないくらいの莫大な借金をさせられ、遊郭などで、その借金を返すために激務をしていたのです。
こと自分の故郷は、カラユキさんで有名な地方で、倍賞千恵子が唄っている「島原の子守歌」の歌詞にもあるように「鬼の池の久助どん」という女衒が大活躍?した地域です。
親が大きな金額を借入れて暮らさざるを得ない貧しさ故。その借金を返すということで身体を拘束され、海外の娼館へと行かざるを得ないというもの。島原半島の南、口之津港から石炭船で東南アジアなどへと送られたそうです。
言葉を縮めて言うと「人身売買」です。
島原半島の南半分と対岸の天草の島々は、平地乏しく斜面地ばかりで、水も乏しく、段々畑が山間の上まで上り詰めているところ。
森崎和江さんがかって「からゆきさん」という聞き書き本を出したことがありました。稀に、生きて故郷に帰ってきた元カラユキさんがトラウマを抱えていた姿が克明に描かれています。
高級娼婦に自ら自由意志で志望していったというのは嘘ですよね。
親や祖父母・兄弟姉妹が食うものもない中では、ミドルティーンだった本人がそれを受け入れざるを得ないのは、ある意味自然です。
現代の自分達は、そうした時代や「貧しさ」の地域のことを覚えておかねばならないように思います。
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FBからもコメントをいただきました。
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福岡県にも「赤線」と呼ばれる遊郭がありました。
その赤線地域の一画にあるお寺があるんです。
選擇寺(せんちゃくじ)さんでした。
当時の赤線で働く女性たちのかけこみ寺だったそうです。
また福岡に行けることがあったら、お参りしてあげて下さいね。
そこのお寺には、多くの遊女として扱われてきた可哀想な女性たちが祀られています。
お寺の方と一度話しをしましたら、女性の住職の方が、そこに弔われている女性たちは若くして、性病で亡くなったり、自殺で亡くなったり、という説明でした。
農民や士族の家族の両親から、売られてやってきた女性たちでした、とも。
こんな女性を物のように残忍に扱う文化など、早く廃れて無くなればいい、と思いました。
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たった今、泥憲和さんがまとめていた「慰安婦問題」についての
膨大な資料をいただきました。
貼らせていただきます。
泥憲和さんの資料