電車で隣に座ってるやつがうとうとしてこっちにもたれかかってきてムカつく。
こーいう、他人の善意の前に胡座をかくやつはむかつく。
スリが多い国で電車で寝るやつがいますか?いないでしょ。
いらいらいら。
いずれは急性期病棟から離れようと思う。
今の場所に来て、私は急性期や救急でパッパッと仕事をしたいタイプではないとわかった。
今まで漠然と超急性期に対して憧れがあったけど、やってみて分かったから、よかった。
悔いなし。
私は慢性期で患者さん個別に看護プランを考える、受け持ち看護師としての仕事が好きだった。
急性期はある程度仕事がルーチン化してくる。
慢性期は看護師の数だけ看護がある。
看護師によっては、慢性期の仕事は日常生活介助以外に全く何もなくなる。
前の病棟では、慢性期の看護介入を何もしない(見えないから、できない)看護師が多くて、それで「ここの仕事は楽」と言っている人が多かった。
でも、私はぜんぜん楽じゃなかった。
急性期に来ても、前の病棟の仕事を楽じゃなかったと思うのだから、私はちゃんと「慢性期の看護介入」が出来ていたんだわ、と自信になる。
なにひとつ無駄なことなんてないんだ。
きつい、きたない、危険の仕事。
きたない仕事が嫌だし、感染症のリスクが怖いし、命に関わる仕事だから毎日怖い。
私が勤めているのはそこそこ大きな急性期病院だからなおさら。
きたない仕事だから、一生やるのは悲惨だとか、そういう意見も聞いたりする。
でも、必要とされてる仕事。
誰かがやらなきゃいけない仕事。
いろんなことに気をつけながら、もうちょっとだけ、がんばろう。
最近看護師を続けるのに限界を感じて、転職や資格についていろいろ調べた。
旦那が経理系の仕事だから、そういうのとか法律系の仕事とか、他の理系の仕事とか。
ぜんぜんわかんないよね。
難しすぎ。
やっぱ私には看護師しかできないのかなぁ。
夜勤明けの清々しい朝も、患者さんの笑顔も、処置も、アセスメントも。
嫌いではないよ。嫌いではないけどさ、きついこわいきたない仕事じゃん?

でも、モニターアラームに反応できるのも、素早くルートキープできるのも、みんなにできることじゃない。
私にできる機能のひとつ。

でも、やっぱ、働きながら子どもはうめないわ。
感染症のリスクもあるし。
考えなきゃな。
しんどいです。
2年目、3年目とかに指導されるのも、精神的にしんどい。
前の病棟では、朝も早くなくてよかったし、ある程度、地位が確立してたんだなあと思い知る。
私の四年半、なくなっちゃった。ここでは忙しいときに手伝ってくれる人もいない。
何もかも違う。つらい。
家事ができなくて、ご飯食べっぱなしで片付けずぼーっとしていたら、同居してる人が片付けてくれてたけど、不満が溜まってたみたいで、喧嘩したときに言われた。
甘えてるって言う言葉がバカみたいに重くてずーっと頭の中から離れない。
今までの仕事も、地位も、家族も、友達も、同期も、仕事で得た信頼とか人間関係とか、ぜんぶ置いて、捨ててきて。
でも頑張って、新しい所でフルで働いて。
つらい。職場から要求されるのも、地位を一から築いていかなくちゃいけないのも。家庭でもある程度要求されて好きにできないのも。
子どもなんかつくったら、またやり直し。
転勤があったら、またやり直し。
本当に振り回される。私の人生なのに。どうしてこんなに誰かに振り回されなきゃいけないんだろう。
お金もないし。今までよりぜんぜんない。
前の職場に戻ってしまえば、仕事も家事も多分両立できるのに、どうしてこうなってしまったんだろう。
いなくなってしまいたい。
泣いてもなんにも解決しない。
整形外科に異動になりました。
今までの病棟にいるのは、がんばったけど、辛かった。
何が辛いって、看護じゃなくて、スタッフのレベルの低さが辛かった。
全くチームワーク取れてないのをまとめきる力もなく、毎日看護以外のことでいらいらしてた。

チームのなかで、気付いたら上から5番目になってた。
1番上は係長さん。30歳半ば。異動してきたばかり。
2番目は、経験10年目くらいの40半ばの先輩。自分が大変な仕事は嫌い。人にばかり仕事を振って、口を出してくるけど、患者さん中心の看護じゃなくて「スタッフの負担軽減」で、物事を考える。頻尿の人や手のかかる人を見たくないと譲らない。
3、4番目は、一つ年上のバカな先輩たち。肺水腫と肺炎の肺音の鑑別もできない。オペ出しに点滴台とベット柵を忘れていき、ベットの高さを一番下にしていてオペ室から苦情があったのに、私は悪くないと言う。
一年目ばかりを責め自分は反省しない。
仕事したくないので、私にばかり重い患者さんや仕事を押し付け、「大丈夫?NNさんは頑張り屋だからー」。
あんたがバカだから、患者さんのために、私がやらざるを得なかったの。
peepもわからない一個下の後輩。
呼吸器のモードも、ちゃんとわかってない。
夜勤で一時間患者さんの家族と、自分の新婚旅行の話をしてきた一つ上の先輩。
その間、ナースコール対応と夜勤の仕事を済ませないと、仕事、回らないよね。

本当に、前の病棟で、私、疲弊してました。
看護は面白かったけど、看護って、一人でできるものじゃないから。
患者さんに必要な看護計画を「手間だから」って言われたときは、本当に怒りで震えた。
前の病棟には絶対戻りたくない。

今の病棟は、前の病棟より、みんな頑張ってる。
前の病棟で、先輩たちは、「ずっとここにいたい」って言ってた。
あんたたちがしてるのは、看護じゃないよ。
妊娠して、「しんどいから、楽な人みたいー」
薄っぺらい看護記録。
子どもたちと、勤務時間中に、楽しく話すけど、なんのアセスメントも介入もしやしない。
泣きながら、何かと思ったら、「仕事が忙しくて、お家で家事ができないのー」

あんた、仕事、してないじゃん!
仕事してるふりしないで。

あんたたちがしてんのは、ぜっっったいに、看護なんかじゃない。
私は、あんたたちと違って、看護ができるはず。
その意地で、辞めずに異動しました。

どうなるかわかんないけど、前の職場の人、だいっきらいよ。
今思い出しても、嫌い。

看護観なんて大それたものは持っちゃいないと思ってたのだけど、最近、よく、わたしが看護師でありつづけるために、ポリシーみたいなものは必要なのだと思ったりする。

でもその形があいまいで、私は今凄く不安定な看護師なのだと思う。


後輩は、仕事に対して真剣さが足りない、と思った。

責任感がない。その責任感のなさはたまに私にもしわよせがくる。

いままで、私が先輩にそんな思いをさせてたのだろう。

でも、私は言われたり気づいたりしたら反省してた。


後輩は今日あまり反省の色なく帰って行った。


涙が出た。


私の仕事ってなんなのだろう?

一生懸命やる人が損だ、なんて一瞬でも思ってしまった。

そのしわよせは全部患者さんにいく。

私だって患者さんによいことをしたい。患者さん第一の仕事がしたい。

いままで、私が新卒のときは、患者さん第一で、下っ端のことなんて二の次だった。

スタッフに厳しく、患者さんに真剣に。

それがいい職場のありようなんじゃないかと、私は最近思う。


最近の病棟はスタッフに甘く、患者さんに厳しい。


「新卒、二年目のミスを防ぐために私たち先輩はこんなことをしたほうが良かった、あんなことをしたほうがよかった、だからあれをしようこれをしよう」


そんな新卒、二年目、スタッフのための手間が増えて、それでミスが減るのかもしれないけれど、その分患者さんにかける時間が減ってるんじゃないかな。

それってすごくおかしい。


ミスは責めちゃいけない。


でも、私が新卒や二年目の時は、ミスを反省して、もう二度とすまい、と思ったよ。

自己嫌悪で「もう仕事辞めたほうがいいんじゃないか」とも思った。

寝られない時もあった気がするよ。


でも、最近は、新卒や二年目に「ミスをしたのはあなたのせいじゃないよ、病棟のシステムのせい、だから先輩たちが改善しよう」


たしかにそうかもしれないけれど、でもそれで新卒や二年目が「私は悪くない」と思うのは違う。


くどいほど確認をするのは大事なことだし、確認するようなシステムがなくても、確認までが仕事だと思ってほしいのに。

だって命を預かってるんだよ。

すごく怖い。

だって、こんなに下の子が適当な仕事をして、なのに、3年目以上の仕事ばっかり増えて、私も、なんかキャパオーバー。

なんて人のせいにするけど、でも、人の仕事まで確認しなきゃ自分のミスにつながるなんて。

仕事、やればやるだけ、ミスする確率が増える。

結局仕事をうまくサボったほうがミスする確率も減るし、と思うよ。

でも、サボるのって、ずるいし患者さんに迷惑をかけるから、さぼりたくない。


やるひととやらない人の差が出てくる。

給料変わらないなんてばかでしょう。


でも、給料なんかで文句言ってるんじゃない。

もっと、仕事に誇りをもって責任をもって後輩には働いて欲しい。


でも、私自信も、ちゃんと責任をもっているかと言われたら、怖くなる。

私だって怖い。

毎日怖い。

今日だって、なにかミスをしていないか、怖くて仕方ないよ。


でも、ミスしたってこんな気持ちにならない後輩は、ちょっと責任感なさすぎるんじゃないか。


こうやっていらないことばっかりしてる私が、いつかミスをしてしまうんじゃないか。


私の看護観がしっかりしていれば、後輩にもちゃんと言えるし、上のひとにも、私はこう思う、ってちゃんと言えるのにな。


看護観ってなんだろう。


前いた先輩の看護観、すごく好きだったから、もっと間近で見ていたかったな。

ちょっと上の先輩と夜勤に入ると、エンドレスで結婚式の話を聞くことになる。

そのとき、スキマスイッチの「君の話」を考える。

私があんまり自分の話をしたくないのは、こういう歌みたいなこと、思われたらやだから。

あと落ちもうまくつけれないし。

話し上手とかあるけど、それはただ話してるだけじゃダメなんだと思う。

人が楽しんでるか楽しんでないかとか、そういうのをちゃんと考えて話して場を盛り上げることができる人は凄いと思う。

尊敬する。

人が自分のことをしっかり話せてるかどうかとか、そういうのをちゃんと考えて聞くことができる人も凄いと思う。

そういうのを「傾聴」って言うんだろうな。

私はその両方だめです。

私の得意技は「聞き流し」かな。

他人にあまり愛情が持てないの。

話し上手も聞き上手も、きっと凄く愛情深い人なんだろうなと思う。

人間っていうのをちゃんと見ている人なんだろう。


私はだめだ。

最近仕事でも、自分の存在意義とか悩んだり。

私は人に興味がないのかも。

私はいい仕事をしてると思えないことが増えた。

それに、後輩が育たない。

後輩が育たないのにいらいらして、自分の負担が増えるのにいらいらして、でも、それって、結局私のような「先輩」が、魅力がなかったりダメだったり、「先輩」の仕事ぶりがよくないから、それを鏡にして後輩がそだたないのではないでしょうか。

なんてね。

師長さんに相談しても、他の同期は親身になって考えてもらってるのに、私の場合は流される。

ちょっとしたことだけどね。

仕事に対しての悩みは言ってないけど、たぶん、「私のやり方を変えたほうがいい」みたいな言い方をされると思う。

頑張ってるつもりなんだけど。

多分師長さんは私のことあんまり「病棟に必要」と思ってない。

多分私にたくさん「改善の余地あり」と思っているんだと思う。


夜勤のトップも、リーダーも、凄くしんどいけど、がんばってるんだけどなぁ。

後輩たちの心理的なフォローばかりされたら、やっぱり「言ったもん勝ち」じゃん、って、いらいらする自分もいる。

じゃあ言えばいいんだけどね。

言ったところでどうなるのか。

「辞めたいです」って言ったら初めて親身になるのかもね。

夜勤の上ができる人が減ったら困るから。


私の存在意義なんてそんなもんよ。

分かっちゃいるけど、そんなもんで、給料をいただいているのだからいいのだけど、なんかね、そのへんが、最近しんどい。


最初に、自分のことばっかり言う人は話し上手じゃないって言ったけど、それでも、やっぱり私よりは話せるんだろうな。

私は自分の気持ちもうまく伝えられないもんな。


最近辞めてった先輩の気持ちが凄く分かる。

あの先輩もあんまり自分のことを言わない人だったけど、こんな気持ちだったんだろうか、なんて、勝手な想像。


人を好きになるっていうのはわがままもむき出しにするってことですね、なんて分かったような口を聞いてみる。

私の悪いところは、すぐ人をうらやむところ。

他の人の幸せのかたちまでうらやむ。

好きだし大切に想うっていう意味も知った。

自己中な私が他の人の幸せを願うなんて前代未聞。

でも、それと同じくらいに、その人が私のせいで悲しむところを見たいなんていう性根の悪いところも持ち合わせているのが私と言う人間なわけで。


もっと近くにいてくれたら、とか、もっと話せたら、とか、もっといろんなことがスムーズにいけば、とか、歳が、とか、お金が、とか。

他の人たちがうらやましくなるときはいっぱいある。

でも、泣きながらそんなことを永遠に話すみたいな、そんな付き合いができていることも、私にとっては稀有なしあわせのかたちであるわけで。


底意地がわるくてわがままな奴にとって、普通のよい人では必要ないようなしあわせのかたちもあるのかも。

意地悪やわがままや嫌がらせをしても受け止めてくれる相手がいることは、今の未熟者な私にとってはとても稀有で幸せなことかも。

パワーストーンのお店にいって占いみたいなのしてもらった。
今までそういうところに行ったことがなかったけどもう現状打破できるなら何だっていい!と、何か変えたくて行ってきた。
結果、びっくりするくらい楽になった。
石に聞いてみたら私は、とりあえずごちゃごちゃで迷ってる・心が傷ついてる・ストレス溜まってる・ネガティブになってる・でも今ある愛を大切にしようとしてる・宇宙視野で物事を見ることを必要としている、らしい。

当たってた。

ブレスレット買ってきた。
そしたら、なんか素直に嬉しいって思って泣けたり、自分に必要なものが選べたり、迷ってたことは些細なことだなって思えた。

とりあえず、どういう作用かは分からないけど、いってよかったな。

たまにはなにかに頼ってみるのもいいかもしれない。