アルベール・カミュ『反抗的人間』(1951年) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

ノーベル文学賞受賞時のアルベール・カミュ

 アルベール・カミュ(1913~1960)の生前刊行作品は新潮社からの『カミュ全集』全10巻(昭和47年/1972年~昭和48年/1973年)に集成されており、さらに没後に刊行された習作長篇『幸福な死』、日記『カミュの手帖1935-1959』、紀行文『アメリカ・南米紀行』、未完の遺作長篇『最初の人間』がありますが、『カミュ全集』に先だって新潮社から昭和43年(1968年)~昭和47年(1972年)に刊行された文学全集「新潮世界文学」のカミュ編をなす48巻(昭和43年4月刊)・49巻(昭和44年1月刊)はカミュ生前刊行の主要作品をほぼ網羅した編集で、この2冊でカミュのほぼ全貌はつかめる、という準全集です。収録作品は、
◎第48巻・カミュI (エッセイ、全小説)
・表と裏 (長篇連作エッセイ、1937年刊)
・結婚 (長篇連作エッセイ、1939年刊)
・夏 (長篇連作エッセイ、1954年刊)
・異邦人 (中篇小説、1942年刊)
・ペスト (長篇小説、1947年刊)
・転落 (中篇小説、1956年刊)
・追放と王国 (短篇集、1957年刊)
◎第49巻・カミュII(主要戯曲、主要評論)
・カリギュラ (戯曲、1944年刊)
・誤解 (戯曲、1944年刊)
・戒厳令 (戯曲、1948年刊)
・正義の人々 (戯曲、1949年刊)
・シューシポスの神話 (長篇評論、1942年刊)
・反抗的人間 (長篇評論、1951年刊)
 
 生前発表の長篇連作エッセイは1957年刊の『ギロチン』が未収録ですが、共作、翻案以外の戯曲は上記4篇で生前刊行長篇・短篇集も4冊、長篇評論も上記2作ですから、文学全集「新潮世界文学」のカミュ編2冊、各巻720ページで生前のカミュのほぼ全業績は尽きています。やはり43歳で生前最後の自選全集全5巻(同様に8ポイント2段組、各巻平均1,200ページ)を刊行した三島由紀夫の2/5にしかなりません。カミュのノーベル文学賞受賞は1956年、カミュ43歳の年ですから、文学全集で2冊に収まる上記の著作でカミュはラドヤード・キップリング(1865~1936、イギリス作家では初受賞、1907年受賞、41歳)に次ぎ、シンクレア・ルイス(1885~1951、アメリカ作家では初受賞、1930年受賞、45歳)を抜く、史上最年少ノーベル文学賞受賞作家の一人になったのです。これほど寡作で効率良く大きな成功を収めたクリエイターは、30歳の第一作から第八作『81/2』(1963年、43歳)までに国際的な映画賞を総ナメにし、巨匠の地位を確固たるものにした映画監督フェデリコ・フェリーニ(1920~1993)くらいしか思いつかないほどです。
 カミュの主要作品は今でも文庫版で版を重ねていますが、いつの間にか絶版になっていて古本で探すしかないのが、1951年の長篇評論『反抗的人間』です。同書は世界的ベストセラーになった1947年の長篇小説『ペスト』以来、戯曲を除く久々の新作となり、またかつての小説『異邦人』の理論的背景となった『シューシポスの神話』(ともに1942年刊)から10年を経たカミュの思想的理論書として『ペスト』同様ベストセラーになり、批評家たちの論争を招きながらも刊行当時の評価は非常に高いものでした。しかし『シューシポスの神話』と違って、『反抗的人間』は歳月を追うほどに欠陥が指摘される問題作となり、カミュのノーベル文学賞受賞や急逝(交通事故死)の頃にはカミュ渾身の力作ながら、もっともカミュの欠点が露出した長篇評論と目されるようになりました。『反抗的人間』のテーマは反抗的立場・行動が直面するニヒリズムとの対決の脆弱さ・不毛さを糾弾した、いかにも『ペスト』を通過したカミュらしいものでしたが、カミュはあまりに大風呂敷を広げすぎました。『反抗的人間』が引例するのは、380ページほどの内容に古代ギリシャの詩人・劇作家からボッシュ、ミルトンを通り、ランボー、ロートレアモンから現代のシュルレアリストにいたる160名以上の作家、キリスト、ナポレオン、フォード、スターリンなどほぼ100名の宗教家・政治家・実業家、聖書や神話、各種経典から採られた20名以上の架空または神話的人名を検討したもので、380ページに280名あまりの「反抗的人間」を論じるとなっては論調は皮相的にならざるを得ません。結果的に『反抗的人間』はイギリスの労働者階級出身の独学者、コリン・ウィルソン(1931~2013)24歳時の百科全書的デビュー長篇評論『アウトサイダー』(1956年刊)の雛型のような著作になりました。また本質的にはウィルソン同様、カミュの『反抗的人間』も「民主主義は最善の政治形態ではないとしても、もっとも欠点の少ない政治制度には違いない」という保守的な妥協点に向かう論調を選択せずにはいられない考察になりました。カミュはむしろ無責任に民主主義への懐疑のまま『反抗的人間』を論じて、結論など放り投げても良かったはずです。それが『反抗的人間』刊行翌年の急進派の盟友サルトルとの論争につながることになるとは、カミュ自身も自身の論調の手抜かりに気づいてはいなかったでしょう。力作『反抗的人間』で陥ってしまった妥協点を再び破壊するように1956年の中篇小説『転落』、1957年の短篇集『追放と王国』が書かれたことにカミュの面目はありました。
 しかし『反抗的人間』自体はカミュの文業でも独自の位置を持っており、コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』のようなフォロワーとは次元が違う雄大な(雄大すぎる)構想を誇り、面白さは無類です。萩原朔太郎(1886~1942)が43歳にして構想・執筆10年をかけて上梓した『詩の原理』(昭和3年/1928年12月刊)は萩原の著作中屈指の問題作ですが、萩原が目したギリシャ時代から現代までの大詩人の名前の無秩序な羅列、大風呂敷を広げすぎて収集のつかなくなった論旨、無理矢理下される結論=詩の直面する根本問題まで、著者自身は自信を持って披露するのに読者にはほとんど説得力のない萩原独自の「詩学」が300ページにおよんで展開される同書と、カミュの『反抗的人間』は双子のように似ています。萩原は57歳と短命でしたが、もし戦後まで存命していれば『反抗的人間』を、ショーペンハウワーとニーチェに心酔していた萩原が唯一同時代人として尊敬・崇拝していた辻潤(1884~1944)のフランス版後継者として歓迎していたかもしれません。カミュを思想家とした場合、ショーペンハウワーやニーチェ同様カミュに欠けていたのは哲学的命題の形而上的思索でした。
 だからこそ『反抗的人間』はやたら用例をくり出すだけの散漫で大風呂敷的な著作に終わりましたが、もとより同書で試みられた意図自体が優れた歴史家が数十年をかけたライフワーク規模の、一人の小説家には手に余るものでした。カミュの作家としての強みは決してテーマを形而上的には扱わない現実的な具体性にあり、それが小説・戯曲においては有効に働き、『異邦人』の思想的背景として切迫感の強かった『シューシポスの神話』の時点では説得力の強かったものが、400ページにも満たない分量で西洋文明4000年の文化史を「反抗」の切り口で絵解きしようとした『反抗的人間』においては当初から無理があったとしか言いようがありません。通常このような著作を試みれば引例に継ぐ引例、飛躍に継ぐ飛躍に編集者からの駄目出しがあってもしかるべきだったでしょうが、当時のカミュの名声は編集者がストップをかける権限を越えていました。『ペスト』の思想的背景としても『反抗的人間』はあまりに野心的で、説得力を欠いています。しかし『反抗的人間』の面白さは『異邦人』『シューシポスの神話』『カリギュラ』『ペスト』の作家が380ページ足らずの単著で西洋文化史4000年の歴史を280名もの歴史的人物を通じて描く、という法外な大胆さにあり、「野心的な失敗」にこそある魅力を認めずにはいられません。