サン・ラ - クラブ・ランジェリー (Transparency, 2006) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

サン・ラ - クラブ・ランジェリー (Transparency, 2006)
サン・ラ Sun Ra - クラブ・ランジェリー Club Lingerie - Audio Series Volume Two (Transparency, 2006) :  

Recorded live at Club Lingerie, Hollywood, California, December 14, 1985
Released by Transparency Records Transparency 0237, 2CD, 2006
All Compositions expect as indicated and Arranged by Sun Ra
(Disc One)
1-1. Untitled 1 - 13:58
1-2. Discipline 27-II / Somewhere There - 6:55
1-3. Untitled 2 - 6:18
1-4. Yeah Man ! (Noble Sissle, Fletcher Henderson) - 4:15
1-5. Lights On A Satellite - 5:45
1-6. Day Dream (Billy Strayhorn) - 7:37
1-7. Drop Me Off In Harlem (Duke Ellington) - 8:05
1-8. Mack The Knife (Kurt Weill) - 16:00
(Disc Two)
2-1. Queer Notions (Coleman Hawkins) - 2:59
2-2. Love In Outer Space - 7:38
2-3. Untitled 3 - 4:15
2-4. Over The Rainbow (Harold Arlen, E.Y.Harburg) - 5:27
2-5. Space Is The Place / We Travel The Spaceways / Outer Spaceways Incorporated - 9:10
[ Sun Ra And The Arkestra ]
Sun Ra - piano, organ, synthesizer, vocals
Ronnie Brown - trumpet
Tyrone Hill - trombone
Marshall Allen - alto saxophone, flute
John Gilmore - tenor saxophone, percussion, vocals
Pat Patrick- baritone saxophone
Danny Ray Thompson - baritone saxophone, flute, percussion
Ronald Wilson - alto saxophone, piccolo
Eloe Omoe - bass clarinet
Carl Leblanc - electric guitar
Tyler Mitchell - bass guitar
Avreeayl Ra - drums
James Jacson - percussion, bassoon
 本作はサン・ラ専門発掘・翻刻レーベルのTransparency社が2006年にリリースした『Live At Myron's Ballroom - Audio Series Volume One』(1981年4月2日収録、3CD)の続編で、ロサンゼルスのダンス会場収録だった同作同様西海岸での発掘ライヴになり、今回の会場はハリウッドの「クラブ・ランジェリー」といういかにも映画関係者御用達キャバクラのような屋号の店でのライヴです。Transparency社が発掘してきたサン・ラ・アーケストラのライヴ音源は膨大な点数・枚数におよびますが、特にこの2作をシリーズ1、シリーズ2としたのは同年リリースもさることながら、おそらくカリフォルニアでのサン・ラのライヴ音源を調査した際前後して発掘されたからでしょう。マイロンズ・ボールルームのライヴ同様、本作も会場側が記録しておいたライヴ・テープがソースとなっていると思われる音質で、CD2枚で1時間40分におよび、実際の曲順のままほぼ完全収録されていることから、セット分けされず一気に演奏されたとおぼしいライヴです。1981年4月のマイロンズ・ボールルームのライヴはCD3枚組、CD1枚ごとに1時間前後の演奏が収録されており、1時間ずつ1セットで一夜に3セット演奏されたとわかる収録配分でしたが、本作のクラブ・ランジェリーではコンサート形式で一気に100分もの演奏が行われたと見られ、おそらくプロモーター、もしくはアーケストラ側からのブッキング交渉でスペシャル・コンサートとしての企画で行われたライヴと考えられます。

 1984年4月に半年間のヨーロッパ~エジプト~ギリシャ・ツアーを終えて帰国したサン・ラ・アーケストラは、1984年5月のライヴ音源を編集したライヴ盤『Cosmo Sun Connection』(1985年リリース、前回紹介)以来本作までの1年半音源が残されていないのですが、アメリカ全土をツアーして回り、1984年7月にはニューヨークで「Sun Ra + 100 Musicians」と名銘った100人編成(実際は70人台にとどまったそうですが)のスペシャル・イヴェントを成功させ、8月には短期のヨーロッパ・ツアーを行い、9月に帰国以降はアーケストラの結成地シカゴへの凱旋公演を行い、帰国後はアメリカ全土の巡業を続けながらブラスターズのフィル・アルヴィンのソロ・アルバム『Un Sung Stories』で3曲のバック・バンドを担当し、1985年の7月~8月、いったん帰国して10月には1985年だけでも2回、合わせて3か月にもおよぶヨーロッパ・ツアーを行っています。これだけ精力的に活動していながら1984年6月~1985年11月の1年半にはサターン盤の新作収録もされていなければ発掘ライヴもなく、'85年12月になってようやく発掘ライヴの本作が陽の目を見たわけですが、サターン盤では1982年の『Nuclear War』セッションが最後のスタジオ録音になり(以降1988年までライヴ盤のサターン盤リリースはありますが、スタジオ盤は他社への録音のみになります)、また前回ご紹介した『Cosmo Sun Connection』のクリス・カトラーのCDライナーノーツの通り「アーケストラに前払いしていたが、ついにリリースする音源がなくなった」事情で急遽編まれたのが『Cosmo Sun Connection』だったという証言がありますから、この時期サン・ラ・アーケストラは経済的にもスケジュール的にも新作リリースが行えないほど、とにかくライヴで稼いでバンドを維持する必要に駆られていたのでしょう。1984年~1985年はサン・ラ70歳(100人編成のスペシャル・イヴェントはその記念でしょう)~71歳、それでメンバーとスタッフ合わせれば50人以上になるアーケストラを維持しなければならなかったのですから、中堅企業並みの収益が必要です。おそらくこの時期にアーケストラは年に200本以上のライヴをこなしていたと思われますが、リーダーのサン・ラも70歳ならアーケストラの中核メンバーも50代後半と、この頃から創設メンバーの看板テナー奏者ジョン・ギルモアも体調が思わしくなくなってきたのも当然です。最新作『Cosmo Sun Connection』までで1956年のデビュー・アルバムから公式アルバムだけでも150作を越えたといえ、アーケストラはアルバム収入だけでは維持できないバンドでした。

 ややサン・ラのピアノ、キーボード類がオフ気味で、管楽器類の音圧が高く団子状になっているのが良くも悪くも会場録音らしい発掘音源ながら、本作も臨場感にあふれた好ライヴですが、セットリストだけでなくアレンジも本作は何となく既視感を覚える内容です。特筆すべきはほぼ10年来アーケストラを離れていた天才バリトンサックス奏者パット・パトリックの復帰ですが、パトリックの後任ダニー・トンプソンとの2バリトンになった分サックス・セクションが非常に重厚に聴こえるものの、パトリックをフィーチャーするなら本作は1982年前後のライヴからあまりアレンジが変わらず、また'84年初頭のエジプト公演、ギリシャ公演のようなテンションからは力量の八分目くらいの演奏に聴こえます。セットリストも'83年10月から'84年4月までのヨーロッパ~エジプト~ギリシャ・ツアーを凝縮したような選曲で、本作単独で聴くには十分聴き応えのある発掘ライヴですが、順序を追って聴いてくるとこの時期('84年6月~'85年12月)、あえてサターン盤の新作ライヴも他社へのスタジオ録音もなかったことがうなずけるような停滞感を感じないではいられません。

 また1986年に入ってもレコーディング・ブランクは続くので、高齢のサン・ラのみならずアーケストラのメンバーたちにもルーティンワークのライヴ巡業の疲労が創作意欲を削いでいたとも思われ、サン・ラが車椅子生活になるのは7年後の1992年夏、最晩年の半年間は郷里のバーミングハムで療養し、1993年5月には逝去しますから、後世のリスナーには、本作あたりからサン・ラの晩年が始まっていたのが、本作自体は腹八分目でも楽しめる発掘ライヴながらふと寂しくなる瞬間があり、サン・ラのアルバムを多く聴いていればいるほど本作には複雑な思いを抱かずにはいられません。1980年の年末のデトロイトの一週間連続公演あたりと較べても'80年代前半の5年間で本作は初めてサン・ラおよびアーケストラの老いを感じさせる音源であり、以降も創作意欲に満ちたアルバムの制作はされますが本作は未加工の発掘ライヴだけに、所々おつかれさまの声をかけたくなる力演がかえって胸に迫るのです。

(旧記事を手直しし、再掲載しました。)