ジャニス・ジョプリン - ワン・ナイト・スタンド (Columbia, 1982) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

ジャニス・ジョプリン - ワン・ナイト・スタンド (Columbia, 1982)
ジャニス・ジョプリン Janis Joplin with The Paul Butterfield Blues Band - ワン・ナイト・スタンド One Night Stand (Steve Gordon, Barry Flast) (from the album “Farewell Song”, Columbia, 1982.2) - 3:07 :  

Janis Joplin with The Paul Butterfield Blues Band - One Night Stand (alternate take) (from the CD box “Janis”, Columbia, 1993.11.23) - 3:10 :

Produced by Todd Rundgren

 ジャニス・ジョプリン(1943年1月19日生~1970年10月4日没)のアルバムは本当に少なく、ビッグ・ブラザー・アンド・ザ・ホールディング・カンパニーのリード・ヴォーカリスト時代にシカゴのインディー・レーベルから発売された『ファースト・レコーディング (Big Brother and the Holding Company)』(Mainstream Records, 1967.8.23、コロムビアからの再発売時に全米60位)、同バンドでのメジャー・レーベルからの初リリースで疑似ライヴ盤の『チープ・スリル (Cheap Thrills)』(Columbia, 1968.8.12、全米1位)、レコード会社の画策でソロ・デビューが進められ、ビッグ・ブラザーを脱退し、スタジオ・ミュージシャンから選抜された即製バンドのコズミック・ブルース・バンドが務めたファースト・ソロ・アルバム『コズミック・ブルースを歌う (I Got Dem Ol' Kozmic Blues Again Mama!)』(Columbia, 1969.9.11、全米5位)のみが生前発売で、さらにジャニスの希望したメンバーでフル・ティルト・ブギ・バンドがレギュラーのバック・バンドとして結成され、レコーディング進行中に1曲を残し完成寸前でジャニスが急逝し、没後に遺作として発表された『パール (Pearl)』(Columbia, 1971.1.11、全米1位)までの4作のみがジャニス自身の意向によって制作されたアルバムです(日本盤ではビッグ・ブラザー時代の2作もジャニス・ジョプリン名義で発売されています)。
 さらにコロムビア・レコーズは半分をビッグ・ブラザー、半分をフル・ティルト・ブギ時代のライヴを収めた2枚組LP『イン・コンサート (In Concert)』(Columbia, 1972、全米4位)、ジャニスの生涯を追った長篇ドキュメンタリー映画のサントラをディスク1に、アマチュアのギター弾き語りシンガー時代のプライヴェート音源をディスク2に収めた編集盤『ジャニス (Janis)』(Columbia, 1975、全米54位)を発表、ジャニス音源はほぼ出尽くしたと思われましたが、‘80年代には未発表曲のライヴ音源とスタジオ音源を半々に収めた『白鳥の歌 (Farewell Song)』(Columbia, 1982.2、全米104位)が突如発売され、32分強と収録時間も短くセールスも振るわないながらオリジナル・アルバムの4作、没後編集の3作でほぼジャニスの全貌は明らかになりました。ジャニス脱退後も新ヴォーカリストを入れて活動していたビッグ・ブラザーがインディー・レーベルからリリースしたジャニス在籍時の音質劣悪なライヴ盤『Cheaper Thrills』(Fan Club, 1984)はマニア向けの発掘盤でしたが、1993年にはジャニスの公式音源ほぼすべてを網羅し、数曲の新発表テイクを加えた決定版ボックス・セット『Janis』(Columbia, 3CD, 1993.11.23)が発売されています。
 その後もコロンビアからの公式リリースとしてビッグ・ブラザー時代の発掘ライヴ『Live at Winterland '68』(Columbia/Legacy, 1998.6.2)、コズミック・ブルース・バンドをバックに1969年のウッドストック・フェスティヴァルに出演した時のライヴ『The Woodstock Experience』(Sony/BMG, 2009.6.30)、ビッグ・ブラザー時代の発掘ライヴ第2弾(『イン・コンサート』『Cheaper Thrills』を入れれば第4弾)『Live at the Carousel Ballroom 1968』(Columbia/Legacy, 2012.3.12)がリリースされ、コロンビアからのリリースは公式盤だけあって音質・内容ともに素晴らしいもので、ジャニスにとってビッグ・ブラザー時代がもっとも楽しかったのではないかと思わせる発掘ライヴです。また2012年にはCD1枚分の未発表別テイクを追加した『The Pearl Sessions』(Columbia, 2012)が発表され、2018年には疑似ライヴ仕立てだった『チープ・スリル』セッションを観客の歓声を被せる前のスタジオ音源そのままに戻し、別テイク・未発表曲を集成しバンド自身が望んでいたオリジナル・タイトルでリリースした『Sex, Dope & Cheap Thrills』(Sony/Columbia/Legacy, 2018.11.30)が話題を呼びました。

 ジャニス・ジョプリンはあまりに生き急ぐような生涯を送ったので、典型的な破滅型女性歌手と思われがちですが、一通りアルバムを聴きドキュメンタリー映画を観ると、快活で繊細な、何よりずば抜けた才能のミュージシャンで、歌う喜びにあふれていた女性だったことがわかります。その才能はビッグ・ブラザーやコズミック・ブルース・バンドとのライヴ音源ではっきりわかり、ジャニスのリズム感と音程があまりに優れているために、ジャニスが歌っていないパートではバンドの演奏が怪しくなってしまっているほどです。年1作と多作ではなかったジャニスがようやく理想的なメンバーを集めて組んだバンドがフル・ティルト・ブギ・バンドで、『パール』はジャニスの最高傑作になりました。やはり生前に4作(うち1作は2枚組LP)のアルバム、意向通りの遺作アルバム(2枚組LP相当)は1作しか残さなかったジミ・ヘンドリックス(1942~1970)のように、ジャニスはまっすぐ上り坂に向かっていたキャリアの途中で最高傑作の完成間近に、過労死とも言うべき急逝を迎えました。

 未発表曲の寄せ集めアルバム『白鳥の歌』の白眉になった楽曲「ワン・ナイト・スタンド」はフル・ティルト・ブギ・バンドの結成直前にポール・バタフィールド・ブルース・バンドをバックに録音され、プロデュースを務めたトッド・ラングレンとジャニスのウマが合わなかったため、アルバム制作が企画されながらもこの1曲で終わった佳曲です。歌詞は一夜興行で次の町に旅立つバンド・シンガーの感傷を歌ったもので、のちの和田アキ子のシングル曲「コーラスガール」のような内容、と言えばいいでしょうか。「ワン・ナイト・スタンド」の録音時ジャニスは27歳になったばかり、急逝する半年前でした。『白鳥の歌』で発表されたOKテイクと、のちのボックス・セット『ジャニス』で発表された没テイクは、手堅いバタフィールド・ブルース・バンドの演奏は同じでもヴォーカル表現の繊細さと完成度に大きな違いがあります。予期もしなかった最晩年に、この見事なOKテイクを歌ってみせたジャニスが、破滅的な女性歌手だったわけはないではありませんか。
和田アキ子 - コーラスガール (TV Broadcast, 1978) :