クラフトワーク(13) コンピューター・ワールド (Warner Bros, 1981) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

クラフトワーク - コンピューター・ワールド (Warner Bros, 1981)
クラフトワーク Kraftwerk - コンピューター・ワールド Computer World (Warner Bros, 1981) 

German Released by Kling Klang/EMI Electrola, 1C 064-46 311, May 10, 1981
US Released by Warner Brothers Records HS 3549, May 10, 1981
Produced by Ralf Hutter & Florian Schneider
All Lyrics by Ralf Hutter & Florian Schneider with Emil Schult (A1 only), All Compositions by Ralf Hutter, Florian Schneider & Karl Bartos
(Side 1)
A1. コンピューター・ワールド Computer World (Computerwelt) - 5:05
A2. ポケット・カルキュレーター Pocket Calculator (Taschenrechner) - 4:55
A3. ナンバース Numbers (Nummern) - 3:19
A4. コンピューター・ワールド 2 Computer World 2 (Computerwelt 2) - 3:21
(Side 2)
B1. コンピューター・ラヴ Computer Love (Computerliebe) - 7:15
B2. ホーム・コンピューター Home Computer (Heimcomputer) - 6:17
B3. コンピューターはボクのオモチャ It's More Fun to Compute - 4:13


(Japanese Single)
8. 電卓 - 4:55 :  

Ralf Hutter - album concept, artwork reconstruction, cover, electronics, keyboards, mixing, Orchestron, production, recording, Synthanorma Sequenzer, synthesiser, vocoder, voice
Florian Schneider - album concept, cover, electronics, mixing, production, recording, speech synthesis, synthesiser, vocoder
Karl Bartos - electronic percussion
(Original German  "Computerwelt" LP Liner Cover & Seite 1 Label)

 現在でこそクラフトワークらしい好アルバムと愛されている本作は、発表当時完全に出遅れた観のあった作品でした。クラフトワークは本作のためにクリング・クラング・スタジオを大規模改造し、海外でのメイン・ターゲットであるアメリカではEMI傘下キャピトル・レコーズからワーナー・ブラザース・レコーズに配給先を移籍、シングル「Pocket Calculator」は世界5か国語でリリースされ、日本語版歌詞で歌われた「電卓」は話題を呼びましたが、1979年~1980年にYMOの大ブレイクによって日本で大ブームを起こしたテクノ・ポップは、1981年にはジャンル自体が急速に飽きらていたのです。クラフトワークは本作発表に伴いこれまでで最大規模のワールド・ツアーを行い、シベリア鉄道経由で初来日公演を行って好評でしたし、ミュージシャン間では本作も非常に高い評価を得ましたが、他ならないクラフトワークの前作『人間解体 (The Man-Machine)』が引き起こした1978年~1979年のテクノポップ・ブームがあまりに急速に高まり流行音楽として蔓延したので、1981年にはクラフトワークの音楽は今さらの感がありました。またこれまでのアルバム・コンセプト(『放射能 (Radio-Activity)』でのラジオ通信と放射能、『ヨーロッパ特急 (Trans-Europe Express)』でのヨーロッパ横断、『人間解体 (The Man-Machine)』での人間の機械化)に較べて、本作の「コンピューター普及社会」というコンセプトはあまりに身近で卑近すぎ、意外性に欠けるものでした。しかし実際は本作でクラフトワークのイメージしていたコンピューター社会は1981年当時ではなくほとんど21世紀以降の未来像を見据えたものであり(アルバム・ジャケットこそブラウン管モニターのパソコンですが)、まさに1990年代以降になってようやく理解されるほど射程の長いものだったのです。そしてクラフトワークの音楽は徹底的な精神性の排除と精密な機能の追求のみによって成立することで、広くポップ・ミュージック全体に汎用性を持つ構造を備えていることが実証されることになりました。1981年には従来のオルガンやストリングス、ホーンズに代わるシンセサイザーの導入という次元でしか理解されていなかったのが、のちのラップ、ヒップホップの登場によってクラフトワークの真の革新はリズム構造にあると正当に評価されるようになったのです。

 当時クラフトワークに不利だったのは、ことに日本では徹底的なプロのミュージシャン集団だったイエロー・マジック・オーケストラの大成功があり、第1作『イエロー・マジック・オーケストラ』'78.11.25は当初オリコン・チャート69位でしたが、そのアメリカ版(アメリカ発売'79.5.30)発売に伴う話題がアメリカ版の逆輸入日本発売('79.7.25)でチャート20位の飛躍的な注目を集め、第2作『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』'79.9.25はチャート1位を獲得します。以降アメリカ・ツアー時のライヴ盤『パブリック・プレッシャー/公的抑圧』'80.2.21、ミニアルバム『増殖 (X∞MULTIPLIES)』'80.6.5とYMOはたてつづけにアルバムを1位に送り込みましたが、'80年後半には歌謡曲にもテクノ・ポップ風のサウンドが使われ、また後続のテクノ・ポップ路線のバンドはチャート面では賑わなかったので、極端に実験的なアンビエント・テクノに踏みこんだYMOの次作『BGM』'81.3.21はチャート2位と健闘するも(収録曲には「バカ、バカ、バカ」とリスナーに向かって連呼する曲すらあります)、明快なテクノポップを期待した多くのリスナーを落胆させるアルバムになりました。すぐにYMOは完成度の高いテクノポップ・アルバム『テクノデリック (TECHNODELIC)』'81.11.21をリリースしますが、前作で多くの流動的ファンが離れたのがチャート4位という数字に表れました。一方メンバー3人のソロ・アルバムは高い評価を受けたので、メンバーのソロ活動を経て解散アルバムを意図し、ポップ・ヒット曲「君に胸キュン」をフィーチャーしたスタジオ・アルバム最終作『浮気なぼくら (NAUGHTY BOYS)』'83.5.24はシングル曲の大ヒットともどもチャート1位に返り咲きました。YMOはのち期間限定で再結成しますが、解散ツアーからのライヴ・アルバム『アフター・サーヴィス (AFTER SERVICE)』'84.2.22も2枚組、解散後のリリースにもかかわらずチャート2位の成績を収めます。

 日本ではそうしたイエロー・マジック・オーケストラの活動の消長が即テクノポップ・ブームの消長だったので、あえて一過性のブームを揶揄して浮動票的リスナーをはぐらかすようなYMOの実験的アルバム『BGM』の直後にクラフトワークの本作がリリースされたのは非常にタイミングが悪いことでした。YMOのメンバー始めミュージシャン間では当然先駆者クラフトワークは尊敬されており、本作発表後の同年中に、YMOがシリアスで完成度の高い『テクノデリック (TECHNODELIC)』を発表したのも、クラフトワーク来日を受けてテクノ・ポップの名誉挽回を図ったものと考えられます。'81年夏に日比谷野外音楽堂でインディー・アーティストのフェスティヴァル「天国注射の昼」があり、ヒカシューの巻上氏(ヴォーカル、ベース)、海琳氏(ギター)、泉水氏(ドラムス)の3人がスリーピースのギター・バンド編成で日本語ヴァージョン「電卓」をカヴァーしていたのも印象に鮮やかで、3年のブランクの間にもクラフトワークはテクノポップ・スタイルのパイオニアとして敬愛され、それはギター、ベース、ドラムスのトリオ編成でも応用可能な楽曲の洗練に表れたのがヒカシューからのピックアップ・メンバーによる「電卓」のライヴ・カヴァーからでもありありと感じられるものでした。しかしクラフトワークの本作は好評を博したワールド・ツアーに較べてアルバムとしては停滞感を感じさせるものであり、本格的の次作はシルグル「Tour De France」'83を挟んだ『Electric Cafe』'86.14.10になります。カール・バルトスとともに電子パーカッションを担当していたウオルフガング・フラーがレコーディング・メンバーから抜けて、前作からヒュッター、シュナイダーとともに楽曲共作者になったバルトスの昇格に伴ってジャケットでは4人が写っているものの、フラーはアルバム制作から外されてコンサート・ツアーのサポート要員に降格されています。なかなかの好作ながら本作の存在感がやや地味なのもそうした事情によるのかもしれません。なお日本語版シングル「電卓」は現行のリマスターCDヴァージョンからは外されており、この曲目当てでCDを購入するには旧版日本盤CDか、1991年のリミックス・アルバム『The Mix』で再録された日本盤CDを探さなければなりません。クラフトワークと日本のミュージック・シーンの接点からも(『The Mix』の再録版ではない)オリジナル版日本語版「電卓」は最重要ヴァージョンなので、せめて日本盤ならではの日本語版「電卓」の追加は復旧されてほしいものです。

(旧記事を手直しし、再掲載しました。)