ロバート・ローウェル「スカンクの時間」(詩集『人生研究』1959年より) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

Robert Lowell, 1917-1977


Robert Lowell, “Skunk Hour” from "Life Studies". Copyright © 1956, 1959 by Robert Lowell, renewed © 1987 by Harriet W. Lowell, Sheridan Lowell, and Caroline Lowell. Used by permission of Farrar, Straus & Giroux,  
Related.

スカンクの時間
(エリザベス・ビショップに捧ぐ)
ロバート・ローウェル

ノーチラス孤島の世捨人、この老いた
女相続人はスパルタ式に小屋で冬を乗りきる。
彼女の羊はいつも海原で牧草を食べる。
彼女の息子は教会の司教。そして彼女の雇い農夫は
この村初めての行政委員長。
彼女は耄碌している。

ヴィクトリア朝さながらの
階層的個人主義に
固執する彼女は
自分の海岸から見えるすべての
目ざわりなものを買い上げ、
そのまま朽ちるにまかせる。

季節は病んでいる--
ぼくらは夏の億万長者を失った、
L・L.・ビーンのカタログから出てきたような
男だったが。彼の高速ヨットも競売にかけられ、
ロブスターの漁師たちが買い上げた。
狐色の紅葉がブルー・ヒルをおおう。

そして今はフェアリーのペンキ屋が
秋に向けて店を華々しく飾る。
彼の漁網はオレンジ色のコルクでいっぱい、
靴の修理台と作業錐もオレンジ色。
でもこの仕事は儲からない、
いっそ結婚でもするか。

ある暗い夜、
ぼくのチューダー・フォードが丘の頭蓋骨を登った。
愛の車を探した。灯りを落して、
車と車が寄り添い、じっとしていた、
この場所は墓地が町を棚のように覆う……
ぼくの頭はちょっとおかしい。

どこかのカー・ラジオが山羊のようにめそめそ鳴く、
「恋よ、おお愛なき恋よ……」聞こえる、
ぼくの病んだ心が、血球一つ一つの中ですすり泣くのが
聞こえる、自分自身ののどを絞めるように……
ぼく自身が地獄だ。
ここには誰もいない--

スカンクだけだ、月の光を浴びて
食べ物はないか探している。
土足で表通りをのし歩く。
白い縞模様、憑かれたように赤く燃える目が、
トリニタリアン教会の、チョークのように乾いた
ヘゲ通りの尖塔の下を進む。

ぼくは天辺に立つ、
家の裏口の階段のいちばん高い所で、濃厚な空気を吸う--
母スカンクが子供の列を従えてゴミ箱をあさる、
くさびのような頭をサワー・クリームの
カップに突き刺し、ダチョウの尾を垂らし、
そして何者をも怖れない。
 ここに訳出した6行8連の詩は全48行で圧縮された短篇小説ほどの内容を誇る、現代詩の古典と目される作品であるとともに、第二次世界大戦後のアメリカ現代詩を代表するロバート・ローウェル(Robert Lowell, 1917-1977)の第四詩集「人生研究 (Life Studies)」1959の追尾を飾る一篇で、1956年に文芸誌に発表された当初から大反響を呼んだ作品です。同詩集がアメリカの現代詩におよぼした影響力は1956年のアレン・ギンズバーグ(Allen Ginsberg, 1926-1997)の詩集『「吠える」とその他の詩篇 (Howl and Other Poems)』と双璧をなします。第一詩集『神に似ざる国 (Land of Unlikeness)』1944でアカデミックな象徴主義の流れをくんだモダニズムの有力詩人として注目されたローウェルは、ゴシック色と象徴主義色を増した第二詩集『ウィアリー卿の城 (Lord Weary's Castle)』1946で早くもピュリツァー賞を受賞し名声を築いていた人でしたが、さらに難解な作風に進んだ第三詩集『カヴァノー家の水車場 (The Mills of The Kavanaughs)』1951での行き詰まりから、尊敬する先輩詩人エリザベス・ビショップ(1911-1979)に感化された日常的題材の抽象化によって作風の転換を図ります。それはちょうどホイットマンの系譜に連なるギンズバーグらビート詩人の台頭に呼応して、'50年代後半から現代にいたる内面告白的なアメリカ現代詩の主流を主導することになりました。また主流現代詩のレトリック水準を定めた業績でも、ローウェルが果たした役割は日本で鮎川信夫(1920-1986)ら「荒地」派詩人たちが行った業績と同時代的に呼応しており、ある種ローウェルや「荒地」の詩人のように書くのは現代詩の一般的書法となっています。一方アマチュア詩人層では詩は依然として大正時代以前、ほぼ100年前の言語水準で書かれている(享受されている)ことを思うと、詩が現代文学の主流になれないのもやむを得ないとの観を深くします。しかしそれは、また稿を改めて考えるとしても、詩の不毛の確認にしかならないでしょう。自称詩人の方のほとんどは詩への疑問を知りません。真正の詩は詩への疑問からしか生まれません。それはすべての創作家について言えることです。疑いのないところには思考の種火すら生まれないのと事情は同じです。

 従来アメリカの詩は長く伝統的なイギリス詩の影響下にあり、ウォルト・ホイットマン(1819-1892)エミリー・ディキンスン(1830-1886)やら少数を例外として個人的な感情を抑圧してきました。ステイトメント、もしくは言葉による工芸品。それがアメリカ詩の美意識だったのです。ロマン派詩人のE・A・ポオ(1809-1049)から文明批評的モダニズム詩人のT・S・エリオット(1888-1965)までそうです。そこに新興国としての見栄や伝統的イギリス詩への劣等感が感じられないでもありません。メイフラワー号で最初に入植したボストンの名門家系の子息で、エリート中のエリートだったローウェルも、初期はエリオットの影響が強い難解でアカデミックな詩で名声を得ました。それが詩集『人生研究』で一変したのは、女性詩人ビショップの抽象的な日常詩とともに、ビート・ジェネレーションの詩人たちの奔放な作風に刺激されたのと、ロウエル自身の内面的危機(女性問題、家庭・親族不和、双極性障害の発症による入退院の繰り返し)によるものとされています。「スカンクの時間」は詩集のエピローグ的な作品のためにそれほど私的な印象を与えませんが、収録詩のほとんどが自伝的・告白的なものです。

 歴史の古いボストンの保守性とは対照的な最新文化のニューヨークや西海岸のビートの反逆性とは別に、保守派の中の異端児ローウェルの作風の転換は同時代や後続の詩人たちに大きな影響を与え、「告白詩」という流派が生まれました。ジョン・ベリマン(1914-1972)、シオドア・レトキ(1908-1963)ら同世代(早熟だったローウェルよりも年長でしたが)のモダニズム詩からの転向組、告白詩からスタートしたアン・セクストン(1928-1974)やシルヴィア・プラス(1932-1963)らが挙げられます。これら告白詩の詩人たちには精神疾患者、自殺者が多いのも特徴です。ロウエルの功罪はひとまず置くとして、同時代現象として興味深いのは、日本では吉岡実(1919-1990)が詩集『僧侶』1958で日本の現代詩で初めて日常性を包括しつつも告白性から離れた詩を成立させたことで、戦勝国と敗戦国でほぼ同時に逆転現象が起きたわけです。それひとつを取っても「スカンクの時間」の示唆するところは大きく、この詩は発表即アメリカ現代詩の古典となりました。ちなみにローウェルは太平洋戦争時には徴兵忌避によって入獄しており、「インディアンを殺戮した家系の子孫に、この上日本人まで殺せと言うのか」と主張した大統領への直訴状が残されています。これがナショナリズム国家アメリカにあっていかにとんでもない主張だったか、またいかに戦時下にあって強固な姿勢だったかは、大東亜戦争に際して「歴史的に文化の大恩のある中国・朝鮮を侵略などできません」と公言してのけた日本の文学者がいないことでも明らかです。ローウェルはカトリック教徒で、厳しい歴史観と罪障感の持ち主でした。

 この詩の時代背景と作者の意図について端的に述べてしまうと、朝鮮戦争休戦後のアメリカ文化の混乱と退廃の最中で、聖と俗の対比を越えた野生のスカンクの生命力に蘇生への希望を願う、という紋切り型になってしまうので、(一)作者の告白したかったこととは何か、(二)詩の末尾に出てくるスカンクの「ダチョウの尾」とは何か、というあたりからこの詩のレトリックを読んでみます。まず(二)のダチョウの尾は、原文でも直喩で「her ostrich tail」です。忘れっぽく胃腸が丈夫と言われる禽獣なので、ゴミ箱を漁るのに没頭して興奮して膨らんだスカンクの尻尾がダチョウの尾に見えた、ということです。こうした基本的な現代詩のレトリックがピンとこない読者は、圧縮された「くさびのような頭をサワー・クリームの/カップに突き刺し、ダチョウの尾を垂らし、/そして何者をも怖れない。」という圧縮した表現ではなく、「没頭して興奮のあまりダチョウのように膨らんだ尾を垂らし」と冗長な表現でないと伝わらない、ということになってしまいます。現代詩では常にこうした圧縮した表現が用いられるため、読者の理解力が求められるということです。

 (一)でこの詩の告白性を読み取るためには、この詩の構成の理解が必要です。6行(Line)・8連(Stanza)のこの詩ははっきりと前半4連・後半4連に分かれ、さらに前半・後半ともに2連ずつに分かれる整然とした構成を取っています。押韻構造こそ不規則であれ、この詩は英語の口語自由詩でありながら形式においては伝統的な、典型的な起承転結の形を採っています。まず最初の2連で「世捨て人の女相続人」に託して描かれるのは詩人自身の戯画です。ノーチラス孤島という実在の島は現実には存在せず、漂流船を連想させる「ノーチラス」という架空のイメージが重要なので、その相続人、ストイシズム、孤立、夢想家(海の上の羊)、カトリック司教、孤島の行政委員長、「耄碌」、プライドと退廃という具合に、この第1連と第2連はいわばモダニズム的な象徴的手法で前口上の役割を担っています。第3・4連は第1・2連を承けてこの島の不毛を、避暑客とオカマ=フェアリー(原文でもfairyで、オカマと訳すかフェアリーのままで外来語で通じるか微妙かもしれませんが)の投げやりで凋落する一方の不景気を描くことで強調します。海、枯葉、オレンジと対比される色彩のイメージも巧みです。ここまで登場するノーチラス孤島の人々は、すべて詩人自身のモダニスト的な戯画像と言っていいでしょう。

 この詩は転・結に当る第5・6連、第7・8連で劇的な転回を迎えます。第6連の最終行と第7連の初行「ここには誰もいない--//スカンクだけだ、」(nobody's here--//only skunks,)は作者会心の行またぎ~連またぎ(アンジャンブマン、と呼ばれる手法)でしょう。この詩の主題はここに凝縮されています。第5・6連がこの詩の本体です。チューダー・フォードは原文「Tudor Ford」で、チューダー朝と2ドア車(Two Doors Ford)に書けた訳せない駄洒落、丘の頭蓋骨(skull)という表現は数行後で町を囲み見渡す墓地が出てくる伏線です。語り手が覗き見しようと探す「愛の車」は原文ではずばり「love-cars」、カーセックス中の車です。第6連でカー・ラジオから流れる曲は1921年にW・C・Handyが発表したスタンダード曲「ケアレス・ラヴ (Careless Love)」、寿命の長い流行歌です。訳題に困りますが、別名「Loveless Love」とも呼ばれるので「愛なき恋」としました。第6連後半からの展開は、生身の告白性がついに露出します。深夜に他人のカー・セックスを覗き見するしかないほど不毛に飢えて荒廃した語り手の詩人は、「ぼくの病んだ心が、血球一つ一つの中ですすり泣くのが/聞こえる、自分自身ののどを絞めるように……/ぼく自身が地獄だ。/ここには誰もいない--」とボードレール的な絶望的な自己認識を告白し、そこで第7・8連の「スカンクだけだ、月の光を浴びて/食べ物はないか探している。/土足で表通りをのし歩く。/白い縞模様、憑かれたように赤く燃える目が、/トリニタリアン教会の、チョークのように乾いた/ヘゲ通りの尖塔の下を進む。」に出会います。そして最終連の第8連では、詩人は帰宅して、家の裏口の階段の天辺に立って「濃厚な空気を吸」っていますから、「母スカンクが子供の列を従えてゴミ箱をあさる、/くさびのような頭をサワー・クリームの/カップに突き刺し、ダチョウの尾を垂らし、/そして何者をも怖れない。」は詩人の目撃してきたばかりの光景への追想、またはスカンクたちへの空想です。結局詩人が告白したかったのは、自分が告白しうるだけの過去を認め、それを直視し告白できる人間に生まれかわったこと、という希望でしょう。「ここには誰もいない--//スカンクだけだ」がこの詩の胆をなすゆえんです。

 おそらく詩人は野性とともに母性を自己回復のために求めていたのが、雄の単独行動スカンクではなく子連れの母親スカンクを描いたことからも推察されます。これも詩人の内面を暗示させます。具体的には書かれていませんが、女性関係で幻滅を味わった過去がほのめかされています。すでに『人生研究』に先立つ詩集『ウィアリー卿の城』の中に、歴史的大作長篇詩「ナンタケットのクウェイカー墓地 (The Quaker Graveyard in Nantucket)」と並んで不倫と死を描いた長篇詩「入口と祭壇の間にて (Between the Porch and the Altar)」があり、衝撃力と告白性ではむしろ「スカンクの時間」を凌駕するほどです。

 トリニタリアン教会はカトリック教会ですが、スカンクは教会など意にも介さず街路を進み、語り手はいつの間にか家の裏口階段のいちばん上に立って(さっきまで車で丘の上にいたのに)「濃厚な空気 (rich air)」を吸いながら「そして何者をも怖れない (and〈she〉will not scare.)」スカンクを眺めます。巧妙な書き方なので一読しただけでは気づきませんがここには時間と場面の推移があり、語り手は帰り道にスカンクを見かけたとしても、最終連のスカンクは現実のスカンクではなく語り手によって理想化された想像上のスカンクでしょう。時間経過と場面転換からしてそれ以外考えられません。わざわざ捕獲して車に乗せ自宅の裏口に放したのなら別ですが、もちろんそんなことはなく、このスカンクたちは堂々と街路を土足で闊歩し、餌あさりを続けています。

 これでやっと最終連まで解説できました。こうやって詩を読み解いていくやり方を筆者は手塚富雄註訳『ドゥイノの悲歌』(昭和32年)や深瀬基寛註訳『エリオット』(昭和39年)で学びました。これらのリルケやエリオットの解釈には異論もありますが、基本的な現代詩解読の批評書として推薦します。そうした先人の業績も踏まえ、試訳した上に解説も書いておいて何ですが、筆者はこの詩は「現代詩のサンプルとしては成功、ただし魅力的な失敗作」という印象を抱きます。構成があまりに図式的にすぎるのです。その点ではこの作品と主題まで酷似している鮎川信夫の昭和24年(1949年)の傑作「繋船ホテルの朝の歌」の大胆に主題に斬りこむ詠みぶり(「おれたちはおれたちの神を/おれたちのベッドのなかで締め殺してしまったのだろうか」)におよびません。ローウェルは肖像写真の通り神経性の斜視まで抱えた人でした。また1946年の長詩「入口と祭壇の間にて」ではヒステリーに陥った女性のモノローグを「鏡の部屋 (Hall of glass)に閉じこめられたように」と見事に表現した詩人です。しかしこの詩の場合、前半のノーチラス島の人物群像は詩人のペルソナであればどのようでもいいので、まったく別物に置き換えても代替が利きます。その意味でこの詩はモダニズムと告白詩の折衷の過程にあり、やや題材と手法の緊密さに欠ける印象を抱きます。そこがまるで同じテーマを日本とアメリカの同世代詩人が競作したように酷似するも、大胆に主題に斬りこむ「繋船ホテルの朝の歌」の方が勝る、と思われる所以です。鮎川信夫もモダニズム詩から出発した詩人ですが、モダニズムが敵性文化として抑圧された大戦下を兵士としてくぐり、モダニズム詩の限界も可能性もぎりぎりまで突きつめられたために、同世代のアメリカ詩人ローウェルよりも早く脱モダニズム的作風にたどり着いたのが傑作「繫船ホテルの朝の歌」(同作は「スカンクの時間」より10年前に書かれています)を始めとする戦後の詩作を生み出したものと解せます。またこの「スカンクの時間」は、後半の展開もあまりにすらすらと作者の意図通りに事が運びすぎて、予定調和の観があります。そうした作為性によってこの詩は現代詩のサンプルとしては成功し、アメリカ詩に「告白詩」の潮流を生んだ画期性はありますが、本当に心を打つ詩になっているかどうかは疑問が拭えません。それはこの詩が訳文だけでは伝えきれず、註釈すると長くなってしまい、訳文で意に満たない部分はやむなく註釈回しとなることにも表れています。しかしたった6行8連・48行にこれだけの(さらに検討すればもっと)情報量が圧縮されているのが、現代詩と呼べる言語表現の次元に成立した詩の面白さです。その一端なりとも感じていただければと思います。

(旧記事を手直しし、再掲載しました。なお訳詩の底本にはローウェル最晩年の自選詩集『Selected Poems』Faber&Fabar, 1976を用いました。)