裸のラリーズ - Metal Machine Music '82 (Univive, 2006) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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裸のラリーズ - Metal Machine Music '82 (Univive, 2006)
裸のラリーズ - Metal Machine Music '82 (Univive, 2006) :  

Filmed and Recorded Live at 横浜慶応大学日吉公舎, October 2, 1982
Released by Univive UV-02 (DVD, NTSC, Copy Protected, Unofficial Release), 2006
全作詞作曲・水谷孝
(Tracklist)
1. 不明 (氷の炎) - 7:20
2. 夢割草 - 7:43
3. 夜、暗殺者の夜 - 11:26
4. 氷の炎 - 18:55
5. 黒い悲しみのロマンセ - 14:47
6. 造花の原野 - 14:52
7. The Last One - 15:41
Total Time:117min
[ 裸のラリーズ Les Rallizes Dénudés ]
水谷孝 - vocal, guitar
Doronco - bass guitar
野間幸道 - drums 

 本作は数少ない裸のラリーズのライヴ映像で、1980年8月~1981年3月の短期間在籍した山口冨士夫(ギター、1949-2013)在籍時からのメンバー、Doronco(ベース)、野間幸道(ドラムス)とのトリオで活動していた時期のラリーズのライヴを約2時間のフル・コンサートで観ることができます。裸のラリーズのライヴ映像には水谷孝(1948-2019)自身による公式なライヴ映像アンソロジー『Les Rallizes Dénudés』(Ethan Mousike, 1992.9.15)があり、アンオフィシャル・リリースには本作と、1982年12月28日の法政大学ホールでのライヴ映像(約2時間)、1994年7月10日の京都大学西部講堂でのチャー坊こと柴田和志(村八分、1950-1994年4月25日急逝)追悼コンサート「首吊りの舞踏会」でのライヴ映像(約50分)があり、いずれもホーム・ヴィデオ映像ですが、観客による客席撮影の「首吊りの舞踏会」より本作と1982年12月28日の法政大学ホールのライヴ映像は主催者側によるワンポイント・カメラ撮影の記録映像ながら最善のポジションでズームやパンを駆使して演奏を克明に追っており、本作は1982年10月2日、法政大学は12月28日と時期が接近しているためほぼ同一のセットリストですが本作はライヴ完全収録、法政大学ライヴの方はラスト2曲(「造花の原野」「The Last One」)がテープ切れのため未収録という違いがあります。もっとも本作も1曲目は演奏途中から始まるので、撮影クオリティ、演奏内容とも両者は甲乙つけ難く、強力なラスト2曲「造花の原野」「The Last One」も収録されている点で本作がやや勝る、といったところでしょうか。

 裸のラリーズでリーダーの水谷孝がもっとも好んだのは2ギター、ベース、ドラムスの四人編成で、ほとんどの時期がセカンド・ギタリスト、ベース、ドラムスを擁した安定したリズム・セクションをバックに水谷が歌い、奔放にリード・ギターを弾きまくる演奏フォーマットで活動していましたが、'70年代ラリーズ史上最高のメンバーが揃ったと言える水谷、中村武志(ギター)、楢崎裕史(ベース)、三巻俊郎(ドラムス)のラインナップが1976年~1977年末で一旦活動休止した後、1978年11月にほぼ1年ぶりに活動再開したラリーズは水谷孝、三巻俊郎(ドラムスからベースに転身)、野間幸道(ドラムス)のスリーピース編成でした。中村武志、楢崎裕史を擁していた時期のラリーズは非常に高い完成度に達していたため、トリオ編成のラリーズは演奏の不安定さが目立ち、ラリーズはDoronco(ベース)を迎えるとともに三巻俊郎がセカンド・ギターに回り(つまり三巻俊郎はドラムス、ベース、ギターの全パートを担ったことになります)、1980年8月~1981年3月には三巻に代わって京都時代から交流の深かった元・村八分のギタリスト、山口冨士夫が参加します。ただでさえすでに伝説的存在になっていた裸のラリーズに、伝説的ギタリスト山口冨士夫の参加は音楽誌やリスナーにも話題を呼び、ラリーズは山口在籍時にバンド自身が公式発表を前提としたと思われるライヴ録音『Double Heads』、未完成に終わったスタジオ・アルバム用録音『Mars Studio 80』を残しています。しかしセカンド・ギターにとどまらない強力なギタリスト、山口冨士夫はあくまで水谷孝主導のラリーズに不満をつのらせ、実質的に半年強の在籍期間で脱退してしまいます。水谷孝は山口冨士夫の後任ギタリストを入れず、1983年以降はパリ滞在のため渡仏して一旦活動を休止する1988年までレギュラー・メンバーを固定せず、年々ライヴ回数も減らして試行錯誤を続けます。山口冨士夫脱退から1988年まで、年々水谷孝のソロ・プロジェクト化していったこの時期は「Neu Project Era」と呼ばれ、メンバーや編成も安定しないためライヴの出来・不出来も非常に激しかったとされています。

 1982年はまだ山口冨士夫在籍時のメンバー、Doronco(ベース)と野間幸道(ドラムス)がかろうじてレギュラー・メンバーだった時期で、Doroncoと野間のリズム・セクションは1974年までの中村武志(セカンド・ギター)・長田幹生(ベース)・正田俊一郎(ドラムス)、1975年の中村・楢崎裕史(ベース)・高橋シメ(ドラムス)、1976年~1977年の中村・楢崎・三巻俊郎(ドラムス)に較べて良くも悪くも重心が高いため、ヘヴィ級のギタリストだった山口冨士夫参加時には目立たなかった軽さがスリーピース編成では気になります。一方、水谷孝のギターは山口冨士夫との競演を経てヘヴィさを増しているので、1ギターながら1978年のトリオ編成時よりはタイトなアンサンブルになっています。本作は「不明」とされる曲で始まりますが、リフや歌詞を改変した、4曲目にも演奏される「氷の炎」の改作ヴァージョンでしょう。2曲目の「雪割草」はこの時期からの新曲で、5年間のフランス滞在から帰国した'90年代には「海のように」に改作されますが、ボブ・ディラン(水谷孝は'70年代からボブ・ディランへの傾倒を表明しています)の「All Along the Watchtower」のコード進行を借りた楽曲と目せます。同曲はジミ・ヘンドリックスの決定的なカヴァー・ヴァージョン、ブルー・オイスター・カルトの「(Don't Fear) The Reaper」に改作された曲としても知られます。
裸のラリーズ - 海のように (Live, 1993) :  

Blue Oyster Cult - (Don't Fear) The Reaper (Columbia, 1976) :  

 約2時間・全7曲のこのライヴ映像は演奏面ではこの時期のラリーズの標準的とも言える出来ですが、オープニングの「不明」(実際は「氷の炎」の新ヴァージョン)、前述の新曲「夢割草」、人気曲「夜、暗殺者の夜」、ヘヴィな「氷の炎」、比較的ポップな「黒い悲しみのロマンセ」、非常に重厚なアレンジで聴ける「造花の原野」、定番のライヴ・エンディング曲「The Last One」と代表曲が並ぶ聴き応えのある選曲で、各曲の演奏時間も長く、セカンド・ギタリストがいないために間を生かしたアレンジがおおむね上手くいっているライヴです。2時間で7曲、3曲目からの5曲はいずれも10分を越えて平均して1曲15分あまりの演奏で、その分どの曲も水谷孝のリード・ギターの即興演奏パートが長いのは、本作のような映像作品の場合非常に観応えがあります。サウンドだけ聴くと本作は手堅いところでまとまりの良いライヴではありますが、やはり映像の説得力は無類のもので、残された映像の少ない裸のラリーズのライヴ映像としてはワン・コンサートのフルセットがバランスの良い録音とともに観られる貴重なリリースです。実際のラリーズのライヴは曲の聴き分けもできないほどの爆音だったので、バンド活動時にラリーズのライヴをご覧になった方にも本作はやや貧弱なカメラワークながら、改めて鑑賞するに値するライヴ映像です。

(旧記事を手直しし、再掲載しました。)