カン(6) スーン・オーヴァー・ババルマ (United Artists, 1974) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

カン - スーン・オーヴァー・ババルマ (United Artists, 1974)
カン Can - スーン・オーヴァー・ババルマ Soon Over Babaluma (United Artists, 1974) :  

Released by United Artists UAS 29 673, November 1974
All written and composed by Can,except "Dizzy Dizzy" lyrics by Duncan Fallowell. 
(Side 1)
A1. Dizzy Dizzy - 5:40
A2. Come Sta, La Luna - 5:42
A3. Splash - 7:45
(Side 2)
B1. Chain Reaction - 11:09
B2. Quantum Physics - 8:31
[ Can ]
Holger Czukay - bass, vocals
Michael Karoli -  guitar, violin, vocals
Jaki Liebezeit - drums, percussion
Irmin Schmidt - keyboards, vocals
(Original United Artists "Soon Over Babaluma" LP Liner Cover & Side 1 Label)

 オリジナルLPは銀箔押しのジャケットの本作は、前期カンと後期カンのはざまで専任ヴォーカリスト不在のドイツ人メンバー四人がかろうじて残した、カン最後の佳作と言えるアルバムです。カンの全アルバムはバンドが原盤権を保有していたので1981年以降イルミン・シュミット夫人ヒルデガルドが勤めるカンのマネジメント「Spoon」レーベル設立によって全作がスプーン社から再発売されましたので(それもカンの再評価がいち早く進んだ理由になりました)、後追いのリスナーにはカンのオリジナル・アルバムがもともとリバティ~ユナイテッド・アーティスツ、ヴァージン、ハーヴェストと移籍をくり返してきたのが閑却されがちです。カンは一見アマチュア的な実験ロックのバンドですが実際は徹底したプロ・ミュージシャンの集団だったので、レコード会社移籍にともなってはっきりと音楽的方向性や制作環境を変化させていました。日本人ヴォーカリストのダモ鈴木はイギリス・ツアー中にエジンバラのエンパイヤ・ホールで行われた1973年8月25日のコンサートを最後に脱退し、残ったメンバーで翌年夏に制作された本作『Soon Over Babaluma』1974はカンのリバティ~ユナイテッド・アーティスツ・レコーズでの最後のアルバムになりました。その時のライヴ録音はラジオ放送用音源も残されており、録音もミックスも正規盤級ですから海賊盤でしか発売されていないのがもったいないのですが、欧米の著作権法ではライヴ録音は録音者やライヴ主催者に権利があるの場合が多く、バンドがリリースしたくても放送局に使用料を払わなければ使えないようです。カンはバンドが所持しているアウトテイク集をスプーン社からリリースしていますが、残念なことにラジオ用放送音源のレベルまで達した出来のものは『Unlimited Edition』1976と『Delay 1968』1981でほぼ出尽くしてしまっています。バンドがライヴ録音を節目節目に記録していたら良かったのですが、ラジオ放送で十分と判断して録音していなかったか、カン自身は『Can Live』1999や『Tago Mago 40th Anniversary Edition』『The Lost Tapes』みたいに中途半端なライヴ・テイクしか持っていないようなのです。

 1973年8月発売のアルバム『Future Days』発表直後1か月もせずダモ鈴木は脱退しましたが、バンドは次作である本作を録音する1974年8月までに初代ヴォーカリストのマルコム・ムーニーをアメリカから呼び戻そうとしたり(航空券まで用意しましたが実現しませんでした)、数人のヴォーカリストをライヴで試したりスタジオ・セッションを行いましたが(何とティム・ハーディンを迎えたセッションまで行われています)、ムーニーやダモのようにフィットする人材は見つからず、結局次回作リリースのぎりぎりまで待って専任ヴォーカリストを入れずに本作『Soon Over Babaluma』を制作しました。ダモ在籍時末期の音楽性がますます気になりますが、公式盤には73年8月録音の「Doko E」2分26秒(『Unlimited Edition』収録)しか発表されていません。海賊盤で聴けるライヴでは『Olympia, Paris, May 12, 1973』がCD2枚組全4曲(「Oveveing Down」36分38秒、「One More Night」9分8秒、「Spoon」32分9秒、「Vitamin C」13分44秒)と質・量ともにダモ鈴木在籍時の最高のライヴが聴けます。流出しているエジンバラ公演には疑問も多く、69分全5曲のうち約55分を占める冒頭3曲「Soup」「Stone Strike」「Hakucho No Uta (Swan No Sonp)」は実際はダモ鈴木加入初期からライヴの定番曲だったアルバム未収録曲「Riding So High」13分52秒、30分24秒の「Stone Strike」は歌詞違いの「Bel Air」で、9分43秒「Hakucho No Uta (Swan No Sonp)」は歌詞違いの「Mother Sky」です。アレンジがアルバムと大幅に違うのは言うまでもありません。問題は残り2曲、8分36秒の「Hot Day in Koeln」、4分48秒の「I'm Your Doll」で、日本の女性ポスト・パンク・ヴォーカリスト、Phewが1982年にカン解散後のホルガー・シューカイとヤキ・リーベツァイトをバックに録音したファースト・アルバムのアウトテイク曲として知られますが、どう聴いても1973年のカンの演奏で、しかも両曲ともライヴ収録になっており、「Hot Day in Koeln」は女性の単独ヴォーカルですが「I'm Your Doll」の前半はダモ鈴木とのデュオになっています。ちなみにPhewのヴォーカルはダモ鈴木の女性版そのものですが、1982年のアルバムは1973年のカンとはまったく変わったサウンドでした。どちらにせよ謎の女性ヴォーカル入り「Hot Day in Koeln」「I'm Your Doll」は同日のエジンバラ公演の収録とは思えません。

 ホルガー・シューカイという人は冗談か本気かわからない発言をするタイプで、「私とヤキのコンビネーションはジャック・ブルースとジンジャー・ベイカーと同等にイノヴェイティヴなものだ」「私はキース・リチャーズのミーハー・ファンでもある」「趣味は読書。毎日経典を2、3行読む」など本人はたぶんどれも本気だと思われますが、カンは『Soon Over Babaluma』発表後からインタビューでウェザー・リポートからの影響を指摘されることが多くなりました。シューカイの返答はもちろん「あいつらがおれたちからパクったのさ」。しかし、ダモ脱退でマルコムにも声をかけたのは実話でしょうが、エジンバラ公演のカンはパリ公演のカンとはさほど異ならず、『Soon Over Babaluma』ではやはり専任ヴォーカリストの不在でやっていけるかどうか、その場合音楽性をどう変えていくかが課題になったでしょうし、ウェザー・リポートも当然参考にしたに違いありせん。カンは1979年にラスト・アルバムを出し、ウェザーも1979年には'70年代の集大成ライヴを出すので、両者のアルバムを対照表にしてみます。
Weather Report / Can
Can: Monster Movie (1969)
Can: Soundtracks (1970)
Weather Report (1971) / Can: Tago Mago (1971)
Weather Report: Sing the Body Electric / Live in Tokyo(1972) / Can: Ege Bamyasi (1972)
Weather Report: Sweetnighter (1973) / Can: Future Days (1973)
Weather Report: Mysterious Traveller (1974) / Can: Soon Over Babaluma (1974)
Weather Report: Tale Spinnin' (1975) / Can: Landed (1975)
Weather Report: Black Market (1976) / Can: Flow Motion (1976)
Weather Report: Heavy Weather (1977) / Can: Saw Delight (1977)
Weather Report: Mr. Gone (1978) / Can: Out of Reach (1978)/
Weather Report:: 8:30 (1979) / Can: Can (1979)
 
 ウェザー・リポートのリーダーのジョー・ザヴィヌルはオーストリア出身で、ドイツ時代の活動を経て渡米し成功をおさめたジャズマンでした。大まかに言えばウェザー・リポートはエスニック・ジャズ・ロックというコンセプトから始まっています。この場合のエスニックは主にラテン(中南米)音楽とアフリカ音楽で、'70年代後半には一転して都会的な作風になりましたが、一貫して共同リーダーだったウェイン・ショーター、初期にはミロスラフ・ヴィトウスも含めた三頭リーダーのバンドだったため、作風の変遷は必ずしも特定のメンバーに指向性には依りません。ですがチェコ出身のヴィトウスの存在感はアルバム半分まで参加して脱退した4まで大きく、ヴィトウスが脱退しベースがアルフォンソ・ジョンソンに替わるとバンドはそれまでのエキゾチシズムからファンクに整理された音になり、さらに6で2曲参加したジャコ・パストリアスが正式メンバーとなった大ヒット・アルバム7でウェザーはロック・リスナーにもアピールするポピュラーな存在になることになります。カンにとってマイルス・デイヴィスのエレクトリック・アルバム『In a Silent Way』1969と『Bitches Brew』1970は自分たちがやろうとしていたことを超大物アーティストがとんでもない完成度で達成したと映ったに違いなく、それはソフト・マシーンやピンク・フロイド、キング・クリムゾンら先進的ロック・バンドにとっても驚異的でした。マイルスのロック・アルバムは一時引退する1975年まで録音され、『Miles Davis at Fillmore』1970、『Jack Johnson』1971、『Live Evil』1971、『On the Corner』1972、『Black Beauty』1973、『In Concert』1973、『Big Fun』1974、『Get Up with It』1974、『Agharta』1975、『Pangaea』1976、『Dark Magus』1977とリリースされています。ウェザー・リポートはマイルスのアルバム参加やライヴ・メンバーを歴任してきたプレイヤーが多く、ジョー・ザヴィヌルとウェイン・ショーターは『In a Silent Way』と『Bitches Brew』で楽曲提供とアレンジまで担い、マイルスのジャズ・ロック時代の基礎を作ったメンバーでした。すれっからしのプロ集団カンがウェザー・リポートの存在を視野に入れていなかったとは考えられません。

 それまでのアルバムの制作ペースより遅く、1974年の年内発売ぎりぎりの同年8月に『Soon Over Babaluma』が制作されたのはダモ脱退からまる1年過ぎていました。スペース・レゲエのA1、変態タンゴのA2の印象が強烈でアルバム全体にエキセントリックなイメージがありますが、7/8のリフに乗せたA3、後半から1/2テンポになるB1、意図的にアクセントを廃したB2など、残り3曲はカンがこれまで演奏しなかったタイプの正統的なジャズ・ロックになっています。A1、A2も含めて、作曲やアレンジ段階では即興的なセッションも交えていたでしょうが(A1はマルコム在籍時のラフ・セッション版が『Unlimited Edition』に収録されている古い曲です)、制作は整然としたアレンジ通りに録音されたものなのがうかがわれます。まだかなりのマルコムやダモ在籍時の残響が曲調に残っており、従来のカンらしさをとどめています。

 本作では脱力レゲエのA1を始めミヒャエル・カローリのヴォーカルの比重が高いのですが、カローリのヴォーカルは線が細く脆弱さを感じないではいられず、むしろA2でリード・ヴォーカルをとるイルミン・シュミットの方が強烈なインパクトを放っています。それでも本作ではドイツ人創設メンバー4人だけになったカンは成功作をものしたと言えるだけの出来になりました。前作『Future Days』のインスト・パートをジャズ・ロックのフォーマットで展開したものとして聴けば、確かにこれもカン中期の力作には違いありません。その一方、従来のカンは素人同然のエキセントリックな外国人ヴォーカリストの存在が焦点となってメンバーのイマジネーションを引き出しスケールの大きな音楽を作ってきましたが、そうした要素がこのアルバムではなくなって、かといって完全に新しくバンドのあり方を立て直すには至っていない観があります。本作はそういう中途半端なところで佳作になっており、イギリスのヴァージン・レコーズに移籍した次作『Landed』から解散までの5作の後期カンは活動中には健闘するも解散後には全盛期を過ぎた作品群と見なされることになります。その点ではウェザー・リポートとの比較はカンにとっては酷でしょう。本作にはかろうじて残っているサイケデリック色も次作『Landed』からは払底されますが、時代的にはそれも必然だったのです。

 (旧記事を手直しし、再掲載しました)