ゲオルク・トラークル「エーリス」詩篇 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

Georg Trakl (1887-1914)

Grete Trakl (1891-1917)
ゲオルク・トラークル詩集より三篇

 少年エーリスに

エーリスよ つぐみが黒い森のなかで啼くとき
それはお前の死の徴(しるし)となる。
おまえの唇に青い岩清水が冷えびえとしみる。

おまえの額に血汐がにじむときは
古い昔の数々の物語も
空の鳥がえがく謎文字の暗い解きあかしも忘れるがよい。

おまえはしかし紫の葡萄がみのる夜のなかへ
しなやかな足どりを弾ませてはいってゆく。
おまえの動かす腕(かいな)は青のなかでひときわ美しく冴える。

茨の茂みがひびきわたり
茂みのなかでおまえの瞳は月のように明るい。
おお エーリスよ おまえが死んで幾年の月日を経たこと。

おまえの躰はヒヤシンスの花となり
僧侶が白い指をおまえの花房にひたしている。
黒い洞穴のなかにはわたしらの沈黙がいる。

もの静かな獣が時折そこから歩み出てきて
黒いまぶたをそっと閉じることがある。
おまえのこめかみのうえに黒い霧がこぼれる。

あれは星が堕ちる最期(いまわ)の際(きわ)に光った金の名残。


 エーリス

 1

この金いろの昼は森閑としてしずまり返り
柏の古木が茂る葉陰に
エーリスよ まるい瞳をみひらいておまえの爽やかな姿があらわれる。

おまえの青い瞳に恋人らの浅い眠りがうつる。
おまえが口づけをしたとき
かれらの溜息はほぐれ解けてばらの香りとなった。

夕暮 漁師は重い打網をおかに引揚げ
心のつましい羊飼は
群をつれて森のほとりを家路へいそいでゆく。
おお エーリスよ おまえの日々はすべてなんと正しいこと。

さむざむとした石垣のそばでは
オリーヴの青いしずもりがゆっくりと暗がりに溶けこんでゆく。
(おきな)の暗い歌声がとだえる。

金いろの小舟にゆられて
モーリスよ おまえの魂が寂寥の空に輝いている。

 2

やさしい鐘の音がエーリスの胸にふるえ
おお この有暮
黒い褥(しとね)のなかにかれの頭がくずれおちる。

一匹の青い獣が
茨の茂みでひと知れず朱にそまり
褐色の樹がそこにひとり立ちつくしている。
青い実がその枝をはなれて落ちた。

天のしるしも 星の光も
夕暮の池に沈んでしずかに消えてしまう。

丘のむこうにはもう冬が来ている。

夜 青い鳩が来て
エーリスの水晶の額からこぼれおちる
冷たい水のような汗を飲み干す。

黒い石垣をゆさぶり
神の孤独な風がいつまでも音をたてている。


 夜に

この夜のなかでわたしの瞳の青も
わたしの胸の赤い金も消えた。
おお 灯火のなんと静かに燃えていたこと。
おまえの青いマントが倒れてゆくわたしをつつんでくれた。
おまえの赤い口がこのおまえの友の狂気を確かめてくれた。

 (平井俊夫訳)

 どんなに優れた翻訳者が手がけても、詩の翻訳ほど困難なものはないでしょうし、たいがいの訳詩集は解説込みで読みこまないと隔靴掻痒の感のあるものですが、註釈や解説抜きに日本語訳で読んだだけで、これは一国の世紀に数人とも言える抜群の詩人の手になる素晴らしい詩だ、と伝わってくるものもあります。京都のドイツ文学者、故・平井俊夫(1926-1993)氏によって初めて日本語全訳されたオーストリア詩人、ゲオルク・トラークル(1887-1914)の全詩集『トラークル詩集』(筑摩書房、昭和42年/1967年)がそういう詩集で、同書にはドイツ詩人エミール・バルトによるトラークル論とトラークル年譜が解説として併載されていますが、何より全120篇・220ページの詩集の翻訳に10年をかけたという平井氏の深い理解と澄明な語感に富んだ訳詩が素晴らしく、刊行から55年あまりを経た現在でもまったく古びていません。その後トラークル詩集(唯一生前刊行の『詩集』と没落刊行の遺稿詩集『夢の中のゼバスチャン』の合本)は他の翻訳者によって何種類かの翻訳が刊行され、日本語訳『トラークル全集』も出ましたが、編纂や翻訳の質においてその『トラークル全集』がもっとも欠陥が目立つのは残念です。

 トラークルは日本の詩人では北原白秋(1885-1941)や三木露風(1889-1964)、石川啄木(1886-1912)、萩原朔太郎(1886-1941)、室生犀星(1889-1962)らと同時代の詩人ですが、ギムナジウム学生時代にボードレール、ドストエフスキーやニーチェ、ヘルダーリン、ホフマンスタールを愛読して17歳の1904年(明治37年)頃から詩作を始め、薬学大学生時代にランボーの詩集に決定的な影響を受け、卒業後に一年の兵役ののち、薬剤師の職業のかたわら文芸誌に詩作を発表、生前唯一の『詩集』は1913年(大正2年)に刊行されました。ギムナジウム学生時代から薬学を専攻していたトラークルは十代から麻薬濫用癖があり、また4歳年下の妹との近親相姦的愛情と現実の性愛への嫌悪と恐怖(トラークルは娼家以外に性体験の機会を持ちませんでした)、少年愛的性癖(「エーリス」とはトラークルにとって純潔なまま夭逝した少年のイメージを託した架空の自画像です)が、トラークル自身が「白い眠り」と呼んでいた麻薬使用下の幻覚と、ランボーから学んだ幻覚の詩的喩法によってトラークル独自の詩法になりました。特に沈鬱な色彩語の多用によるイメージの拡張と統一はトラークル自身が自負する技法となり、その技法を模倣した新人詩人たちの出現に文芸誌の編集長宛に抗議の書簡を送っているほどです。薬剤師となったトラークルは、しかし社会不適合的性格から一つの職場に長く勤められず、短ければ即日~数日、長くても数か月でオーストリア各地の薬局や役所の職員を転々としています。その頃商家に嫁いでいたピアニストの妹マルガレーテが死産し一命は取りとめましたが、兄ゲオルクとの子供ではなかったかと現在でも疑問を持たれています。ほどなく就職先に窮したトラークルは第二次大戦勃発とともに薬剤士官として志願入隊しますが、一か月もせずトラークルの属した師団は最前線の激戦地グローテクで一夜にして敵味方ともに全滅、ただ一人の医療員だったトラークルは敵味方の死体の山の中で、たった一人で百名以上の重症負傷兵を担当する激務に耐えられずピストル自殺を図り、重度の鬱病で野戦病院の精神病棟に入院しますが薬物自殺未遂をくり返しながら数篇の遺稿詩篇を残し、1914年11月3日、コカインの過剰摂取による「白い眠り」で自殺しました。享年27歳、トラークルが入隊前に文芸誌に託していた第二詩集『夢の中のゼバスチャン』は最晩年の詩稿を足して没後に刊行になり、妹マルガレーテは1917年に兄の後を追うように26歳でピストル自殺しました。

 トラークルを直接題材にした音楽作品にはアントン・ヴェーベルンによる歌曲『トラークルの詩による6つの歌曲』(作品14)があり、クラウス・シュルツェには「ゲオルク・トラークル」(アルバム『X』1978)、トラークルの自伝的詩篇「夢の中のゼバスチャン」をアルバム全篇のモチーフとした『Audentity』1983、そしてトラークルの生涯を本格的な現代音楽オペラにした大作『Totentag (自殺の日)』1994があります。また裸のラリーズのアシッド・フォーク楽曲「白い目覚め」もトラークルの「白い眠り」に対応したものでしょう。トラークルが日本の詩人では北原白秋、三木露風、石川啄木、萩原朔太郎と同時代の詩人とはにわかに信じがたい思いがしますが、トラークル詩集を愛読している詩の読者は、やはりランボーの影響をT・S・エリオットからの影響と混交し2冊の詩集と未完の遺稿詩集のあと海中投身自殺したアメリカ詩人、ハート・クレイン(1899-1932)の愛読者とともに、実に信頼できる気がします。トラークルやクレインの詩はシュルレアリスム詩、さらに一般的なモダニズム詩よりはるかに詩の本質に根ざした優れたものです。また24歳で活動のピーク時(アメリカ・ツアーの前夜)に縊死自殺した、イギリスのポスト・パンク・ロック・バンド、ジョイ・ディヴィジョンのヴォーカリストにしてリーダー、熱心な文学青年として知られるイアン・カーティスがトラークルと容貌が似ているのも(頭蓋から目鼻立ち、顎の線まで兄弟のようにそっくりです)不吉な感慨をそそられます。今回ご紹介した三篇は特にトラークルの代表詩篇というでもなく、第二詩集『夢の中のゼバスチャン』期の詩篇から目についた連続した三篇を詩集配列順に引いただけですが、「少年エーリスへ」「エーリス」「夜に」の三篇だけでも完璧な作品世界を形づくっています。トラークルの詩法はランボーと19世紀末詩人に加えて、家庭教師をしていた上流階級婦人への失恋による放浪生活を経て生涯の後半を重度の統合失調症に陥りカトリック寺院の寺男として生きたロマン主義詩人フリードリヒ・ヘルダーリン(1770-1843)の後期詩篇(統合失調症に陥った後のヘルダーリンは、過去の記憶も自分が何者であるかも認識できませんでした)の放心状態の自動手記的抒情詩から方法的にトラークルがつかみ出したものでした。しかしトラークルがさらに生き長らえても、全詩集『トラークル詩集』からいかに発展し得たかは、ハート・クレインと同様に想像もつきません。トラークルはランボーや、唯一人トラークルに匹敵し得た同世代の夭逝ドイツ詩人ゲオルク・ハイム(1887-1912)のような天才ではなく、研鑚と努力によって才能を最大限に伸ばし得た詩人でした。トラークル詩集の各種翻訳は容易に手に入りますので、ぜひこの詩人の名を覚えていただけたら幸いです。 


(旧記事を手直しし、再掲載しました。)