裸のラリーズ - 幻野祭72京都 (Live, 1972) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

裸のラリーズ - 幻野祭72京都 (Live, 1972)
裸のラリーズ - 幻野祭72京都 (Live, 1972) :  

Released including Ignuitas YOUTH-179 "Collectors Box 「10枚組CDコレクターズボックス」", Disc 1, June 12, 2012 (Unofficial)
全作詞作曲・水谷孝
(Setlist)
1. Introduction (MC) - 0:18
2. 造花の原野 (or Enter The Mirror) - 13:23
3. 不明 (or 記憶は遠い) - 11:09
4. お前を知った (or The Last One 70, 踏みつぶされた優しさ) - 17:13
Total Time: 42:04
[ 裸のラリーズ Les Rallizes Dénudés ]
水谷孝 - vocals, lead guitar
久保田真琴 - rhythm guitar
長田幹生 - bass guitar
正田俊一郎 - drums 

 本作は、裸のラリーズのライヴ音源の中で、ワンマン・コンサートをフル収録した1974年7月13日の明治大学ヘボン館地下でのライヴ音源に2年先立つ、イヴェント出演ながらエレクトリック編成でのラリーズの出演した42分のセットをフル収録した、現存する最古の音源とされるものです。1967年末に京都で結成されたラリーズのリーダー、水谷孝(1948-2019)は1970年秋にヒッピー・シンガーの南正人(1944-2021)の勧めから、京都の盟友バンド、村八分とともに東京に拠点を移し、新たにベーシストに長田幹生、ドラマーに正田俊一郎を迎えて活動を再開しますが、公式アルバムで京都時代の音源は『'67-'69 STUDIO et LIVE』、東京に拠点を移した1970年~1972年の音源は『MIZUTANI -Les Rallizes Denudes-』にまとめられているように、1973年以降オリジナル・メンバーのセカンド・ギタリスト、中村武志が再参加するまでスタジオ録音、ライヴともども編成はしばしば安定しませんでした。『'67-'69 STUDIO et LIVE』はほぼ曲ごとにメンバーが替わり、『MIZUTANI -Les Rallizes Denudes-』はほぼ水谷孝の新曲のデモ録音集であることでも、まだ裸のラリーズはメンバー編成でも試行錯誤(1970年には村八分をバック・バンドに「裸のラリーズ」としてのライヴ活動をしています)の段階にありました。この時期ラリーズの準メンバーと言える位置にいたのが、のちにソロ~「久保田真琴と夕焼け楽団」「サンディー&ザ・サンセッツ」で活躍するシンガー・ソングライターの久保田真琴(1949-)であり、『MIZUTANI -Les Rallizes Denudes-』ではスタジオ・テイク、ライヴ・テイクとも久保田の貢献が目立ちます。1972年にはその後1977年まで在籍するセカンド・ギタリストの中村武志が加入していましたが、この1972年8月16日の京都大学農学部グラウンドでのイヴェント「幻野祭72京都」でのライヴでは、水谷孝同様京都出身の久保田真琴がセカンド・ギタリストを勤めているとされています。また1970年~1971年の久保田参加の断片的な(曲単位で現存する)ライヴ音源では2ギターのうち久保田真琴がリード・ギターを担当していますが、この1972年音源では水谷孝がリード・ギターを久保田と分けあっており、以降1996年の活動休止まで続くラリーズのサウンドの雛型が形成されつつあった様子を聴くことができます。またラリーズの楽曲は歌詞と曲の書き変えが頻繁に行われたのちにレパートリーとして定着する過程を経ており、この「幻野祭72京都」では演奏曲3曲を各種のunofficial盤での表記に倣って、仮に「造花の原野」「(不明)」「お前を知った」としましたがいずれもが過渡的な歌詞、アレンジ、作曲で歌われていることでも注目されます。

 1972年は水谷孝上京後ようやくラリーズが東京でライヴ・バンドとして軌道が乗った年で、2月には豊島公会堂でのイヴェント「SURVIVAL72前夜祭」(競演・頭脳警察、ロスト・アラーフ、あがた森魚ら)に出演し、また吉祥寺のライヴ・ハウス「OZ」(1972年6月開店)のブッキング・マネージャー手塚実の知遇を得て、OZへの定期出演やOZ主宰の市民会館規模のイヴェントに出演するようになります。この8月16日の京大農学部グラウンド「幻野祭72京都」では阿部薫、南正人、豊田勇造、ウェスト・ロード・ブルース・バンドらと競演しています。演奏時間42分は他の出演者とのセット・チェンジを含めて持ち時間が1時間だったのでしょう。ラリーズを紹介する司会者のMCを除いて、42分で3曲と、1曲平均14分にもおよぶ長尺演奏が聴けます。まだ1974年~1975年以降全面的に導入されることになるエコー・マシーンは使用されていません。録音状態からはサウンドボード録音ではなく、オーディエンス録音かバンドスタンド録音か判然としませんが、上質とは言えなくてもオープンリール・レコーダー時代のワンポイント・マイク録音としてはぎりぎり及第点で、迫力のある臨場感が良いとは言えない音質を補っています。のちのヴァージョンでは2番に当たる歌詞から歌われる「造花の原野」は1996年の活動休止まで演奏され続けるラリーズのライヴの定番楽曲で、ここではのちに独立して成立した楽曲「Enter The Mirror」の原型となる歌詞も歌われています。2曲目の楽曲はこの時以外の演奏例のない曲名不明のフォーキーながらコード進行は一部「記憶は遠い」と共通するヘヴィなサイケデリック・バラード、最終曲「お前を知った」は「The Last One 70」とも「踏みつぶされた優しさ」とも呼ばれる曲のヴァリエーションで、1974年にまったくの新曲「The Last One」が成立して定番レパートリーになったのちも'70年代半ばまで演奏され続け、ここでは1973年以降とは異なる歌詞で歌われています。

 この1972年8月16日「幻野祭72京都」音源はデータ不詳や曲単位に分散しさまざまな形で出回ったのち、2012年にDisasterレーベルを引き継ぐIgnatiusレーベルからの10枚組ボックスセット『Collectors Box』にようやくイヴェント出演のフル・セットで収録されました。1曲あたりの演奏時間が長いばかりか、この段階では「造花の原野」も「お前を知った」もいかにも不安定なアレンジで、楽曲の焦点が絞れていないために冗長で、それがこの「幻野祭72京都」の特徴でもあれば聴きどころにもなっています。2年後の1974年7月13日・明治大学ヘボン館地下ライヴがいかに飛躍的に完成度を高めたかを確認できる音源とも言えます。また轟音のフィードバック・ギターはラリーズらしいものですが、特にここで聴ける初期アレンジの「造花の原野」(この曲はラリーズのレパートリー中もっともアレンジの振り幅の大きい曲です)に顕著なように、重いリフがブルース・ロック~ハード・ロック的でもあれば、プレ・プログレッシヴ・ロック的なヘヴィ・スペース・ロックと見なしてもいいサウンドです。日本の代表的なプログレッシヴ・ロック・バンドと言えるサディスティック・ミカ・バンド、コスモス・ファクトリー、ファーラウト(ファー・イースト・ファミリー・バンド)、四人囃子がレコード・デビューするのは1973年ですから、ここでの裸のラリーズは京都のキーボード・トリオのだててんりゅう、浦和のスリーピース・バンドの安全バンドと並ぶ、アンダーグラウンド・シーンのヘヴィ・プログレッシヴ・バンドと目してもいい演奏をくり広げています。裸のラリーズをプログレッシヴ・ロックとするのは現在では違和感があるでしょうが、『Meddle』(Harvest, 1971)や『In Search Of Space』(United Artists, 1971)などのスペース・ロック時代のピンク・フロイドやホークウィンドを引き合いに出せば、この「幻野祭72京都」ライヴのラリーズはフロイドやホークウィンドと共通する、プログレッシヴ・ロック~スペース・ロック色が強い演奏と見なせます。水谷孝のギターのフィーチャー度が1973年、1974年と高まるにつれ、1976年~1977年に最初のピークを迎えるヘヴィ・サイケデリック・バンドとしてのラリーズの作風が固まっていった、そのごく初期のサウンドを聴くことができるライヴ音源です。

 ただしラリーズは翌1973年のオムニバス・アルバム『OZ Days』ではまだフォーク色も強く、水谷孝のアシッド・フォーク的なシンガー・ソングライター色はのちまで代表曲「記憶は遠い」「白い目覚め」「Enter The Mirror」などに残る側面でもあるので、アシッド・フォーク的要素とヘヴィ・サイケデリック的な面は作風確立期のラリーズでも不即不離に発展していったと見なせます。この「幻野祭72京都」について言えば、翌1973年に一斉にデビューするサディスティック・ミカ・バンド、コスモス・ファクトリー、四人囃子のようなメジャー・デビュー組とは一線を画したサウンドで(ファーラウトはアンダーグラウンドな作風のまま唯一のアルバムを残した後、ファー・イースト・ファミリー・バンドに発展しますが)、だててんりゅうや初期の安全バンドと同様に非常にアンダーグラウンド色の強い、見方によってはラリーズの全音源中もっともパンキッシュな荒々しさに満ちた、攻撃的で挑発的な演奏と言えるものです。それは「幻野祭72京都」という特殊なイヴェント出演ならではでもあれば、現存する最古のフル・ステージ音源ということにもあるでしょう。本作を「造花の原野」「(不明)」をA面、「お前を知った」をB面にしてアルバム化されるのが1972年に実現するのは当時の日本の音楽シーンではまず不可能だったでしょうし、その徹底的な異端性で本作は日本きってのアンダーグラウンド・バンド、裸のラリーズの本格的な出発点にふさわしいライヴ音源です。しかもラリーズは、この時すでに結成から5年目でした。ラリーズ最初の絶頂期ほベーシストに悲露志、またはHIROSHIこと楢崎裕史(1952年12月8日生~2023年3月24日没)が参加した1975年~1977年でしたが、楢崎氏在籍時の絶頂期音源を追悼の念とともに聴き返すとともに、この「幻野祭72京都」はバンドのスタイル確立期の必聴音源(非公式ファースト・アルバム!)として貴重極まりないものです。

(旧記事を手直しし、再掲載しました。)