クラウス・シュルツェ - オペラ『自殺の日(トーテンタグ)』(ZYX, 1994) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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クラウス・シュルツェ - トーテンタグ (自殺の日) (ZYX, 1994)
クラウス・シュルツェ Klaus Schulze - トーテンタグ(自殺の日) Totentag (ZYX, 1994) :  

Recorded at Hambuhren, KS Moldau Musik Studios, March 1992 to August 1993
Released by ZYX Music ‎ZYX 81014-2, September 1, 1994
Produced and Composed by Klaus Schulze
(Tracklist)
(Disc 1)
1. Prelude(Atmospheres)/Apotheke "Zum weiben Engel" - 17:32
2. Liebesszene - 13:46
3. Im Bordell - 14:02
4. Das Leere Theater - 13:53
(Disc 2)
5. In Venedig - 12:10
6. Grodek - 7:31
7. Der Freitod - 24:47
[ Personnel ]
Klaus Schulze - concept, electronics, guitar, keyboards, sampling, synthesizer
Wilhelmina van der Helm - mezzo-soprano (vocal)
Denis Lakey - counter tenor (vocal)
Roelof Oostwoud - tenor (vocal)
Harry Peeters - bass (vocal)
Peter-Christoph Runge - baritone (vocal)
Hermann Schneider - librettist 

(Original ZYX Music "Totentag" CD Liner Cover & Pictures from 32p. Booklet)


















 クラウス・シュルツェ(1947-2022)がかつてない録音期間に最長の1年半('92年3月~'93年8月)、さらにミックス・編集・発売まで1年をかけた、最大の力作にして問題作かもしれない本作は、ついにシュルツェが作ってしまった本格的なオペラ作品で、全7景に分かれたCD2枚組103分42秒の大作です。内容は20世紀初頭のザルツブルク生まれのドイツの象徴主義~表現主義詩人、ゲオルク・トラークル(1887-1914)の、生い立ちから27歳で第一次世界大戦の戦線で服毒自殺するまでの生涯を描いたもので、お聴きいただければすぐわかりますが全編ドイツ語の現代音楽オペラです。歌詞はシュルツェの指定に従って本職のオペラ作詞家がまとめ(画像に載せたキャスト写真・解説文に加えてブックレットには全曲の歌詞も掲載されています)、歌手は5人、やはり本職のオペラ歌手を起用しており、それぞれ配役も割り当てられています。シュルツェは6人の芸術家に捧げた1978年の第10作のLP2枚組大作『X』でもトラークルに捧げた楽曲「Georg Trakl」を収録し、1983年の第15作でやはりLP2枚組大作『Audintity』ではトラークルの第二詩集かつ遺稿詩集『Sebastian Im Traum』1914から表題作のトラークルの自伝的長詩「夢の中のセバスチャン」をアルバム全編のテーマにし、同作のサイド1はセバスチャンの幼年期の内面、サイド2はセバスチャンの精神的変転、サイド3は成年に達したセバスチャン、そしてサイド4で過去と未来、可能性と行き詰まりが一斉にセバスチャンの中で崩れ落ちる(融合する)様子を描く、という傾倒ぶりでした。『X』収録曲「Georg Trakl」と大作『Audintity』の発展型といえる今回のアルバムではついにトラークル自身の生涯を現代音楽オペラにしてみせたので、本作はシュルツェの通算第29作、'93年の10枚組未発表音源集『Silver Edition』を単体CD10作と数えれば第39作ですが、第10作『X』、第15作『Audintity』と数えてくれば、'94年は5月に映画のサウンドトラック・アルバム『ドーデの水車小屋 (Le Moulin de Daudet)』、6月に『ゴーズ・クラシック (Goes Classic)』、9月に本作、12月にライヴ盤『ワーグナー・ディザスター・ライヴ (Das Wagner Desaster Live)』と第27作~第30作までを出したシュルツェの恐るべき創造力の年で、発表順では第29作ですが第10作『X』、第15作『Audintity』にさらに落とし前をつけたのがこのトラークル伝の本格的な現代音楽オペラだったのは、シュルツェのトラークルへの傾倒と持続的な関心を示してあまりあり、現代音楽の作曲家としてのシュルツェ最大の作品とも言えるアルバムとなっています。

 トラークル(1887-1914)は日本の詩人では石川啄木、萩原朔太郎より1歳だけ年少の生まれですが、ドイツ現代詩史においてはやはり夭逝詩人だったゲオルク・ハイム(1887-1912)とともに、シュテファン・ゲオルゲ(1868-1933)とゴットフリート・ベン(1886-1956)の間をつなぐ、象徴主義~表現主義~即物主義の変転に位置する詩人でした。啄木は1912年に数え年26歳で亡くなり、朔太郎が詩作を始めるのは翌1913年、第一詩集『月に吠える』が1917年ですから、それに対して1910年にはドイツ詩壇に頭角を現し、1912年には決定的な独自の作風を確立し翌1913年の第一詩集で若手詩人最高の存在となるも、翌1914年には医療班の薬剤師として従軍し、一夜で数百人の戦死兵・重傷兵の医療係を一人で担当する激務を経て狂乱のあまり自殺未遂を起こし、病院に監禁されるも服毒自殺を遂げたトラークルの生涯は、先に亡くなったゲオルク・ハイム、同世代の日本詩人の啄木や朔太郎と較べてもいっそう波乱に富み過酷なものでした。一国の文化史の上では日本で啄木が果たした文明告発者としての役割、朔太郎が日本の真の口語詩を作り上げた功績に較べると、ドイツ本国でもトラークルは志し半ばにして不遇の死を遂げた夭逝の天才詩人とされます。ただしその詩はあまりに難解で陰鬱であり、決して広い読者に親しまれるタイプではないとされるので、シュルツェの傾倒はそのトラークルの不幸や悲劇性抜きには考えられないでしょう。トラークルは生涯職業文筆家だった時期は一度もなく、社会人としては薬剤師が職業でした。医療班軍医として従軍したのも薬剤師だったからですし、実際の前線、しかも数百人の重傷兵の看護を一人で引き受けるには一介の薬剤師だったトラークルは過酷すぎました。服毒自殺を遂げたのも薬剤師としての知識があったからで、薬学を学んでいた頃から詩作に励むとともに麻薬癖があり、その習慣は生涯続いていたようです。'70年代のシュルツェには夭逝へと向かうような破滅型芸術家風の面影がありました。しかし30歳を過ぎた第10作『X』、30代半ばの第15作『Audintity』ではむしろ粘り強い創作への意志を指向するようになったと思われます。『Audintity』からさらに10年経ち、第29作となった本作は、シュルツェにはこれも節目となるトラークルへの傾倒への総括の意図があったでしょう。
 
 アルバム・タイトル『Totentag』は「Toten」(殺す、自殺する)と「Tag」(日、一昼夜、日付)の合成語ですが、内容からも『自殺の日』としていいと思います。トラークルの自殺であるとともに、シュルツェがこのアルバムで自分の内なるトラークルへの傾倒に決着をつけた、殺した、という意味合いもあるでしょう。本作は32ページのブックレットにドイツ語原文、英語訳、フランス語訳の3か国語で全7景の歌詞が掲載されていますが、残念ながら現在まで日本盤発売はなく、音楽的には本格的な現代音楽オペラ、しかも演奏は作曲者によるエレクトロニクス・ミュージックとなるとクラシック系リスナーにもロック系リスナーにもアピールの難しい作品なのでリリースの実現は困難でしょうが、日本語訳歌詞のついた日本盤発売が望まれます。本作はインディー・レーベル、ZYXディスクへの『Goes Classic』に続くアルバムであり、やや余興的作品だった『Goes Classic』は本作のための予算捻出のために制作されたアルバムかもしれません。本作もZYXディスクの初回プレスのみで廃盤になっており、これほど非商業的な本格的現代音楽作品はシュルツェ作品でも空前絶後なので、少なくとも20世紀現代音楽オペラの金字塔、アルバン・ベルクの『ルル』(ヴェーデキントの『地霊』『パンドラの箱』原作)、『ヴォツェク』(19世紀のロマン派劇作家ゲオルク・ビュヒナーの先駆的表現主義犯罪劇が原作)、ベルクの師シェーンベルクのライフワーク『モーゼとアロン』(旧約聖書より)あたりは普段から親しんでいる音楽的素養が必須でしょう。しかもロック畑のミュージシャンによる電子音楽オペラというと、本格的な現代音楽作品としての評価にはまだ半世紀以上の時の経過が必要かもしれません。筆者も本作を聴くには覚悟が要り、100分を越える2枚組CDを最大の集中力を傾けながら聴くという、うかつに他人に薦められない、シュルツェ最大の敷居の高い作品になっているのは否めません。

 第1景「Prelude(Atmospheres)/Apotheke "Zum weiben Engel"」は英題では「Prelude(Atmospheres)/"White Angel" Apothecary」と訳され、日本語にすれば「序曲(大気)/薬局"白衣の天使"」ですが、「Atmosphere」は雰囲気の意味もあるので、複数形の「Atmospheres」はこの序曲で全編のモチーフが暗示されている、と言うことで、また「薬局"白衣の天使"」はすでに社会人となったトラークルの姿からこのオペラが始まるのを示します。第2景「Liebesszene」は英題「Loveschene」で、これは時間が遡行してトラークルの5歳下の妹マルグリーテ(20歳で嫁いでいましたが、兄ゲオルクの没後3年後に25歳でピストル自殺を遂げます)との少年時代からの近親相姦的兄妹愛の情景です。第3景「Im Bordell」は英題「At The Brcithel」つまり「売春宿にて」で、内容は推して知るべしでしょう。第4景「Das Leere Theater」は英題「The Empty Theater」で、演劇の盛んだった当時のドイツでは詩の世界と演劇は密接で、トラークルも戯曲を書き、音楽家を志していた妹マルグリーテともども演劇運動に参加しましたが、その後トラークルの書いた戯曲の原稿は作者自身によって破棄されて残されていません。「空っぽの劇場」はトラークルの演劇への挫折と孤独な詩作への専念への転機を描いた情景とも言えます。アルバムはディスク2に移り、第5景「In Venedig」は「In Venice」1913年8月の2週間のヴェネツィア旅行を描いた情景で、この年はトラークルにとって第一詩集が刊行された記念すべき年ですが、トラークルはこの年だけで6回以上ドイツ国内各地を転々と転居し、7月にはウィーンで陸軍省に勤務するも1か月も勤めずに辞め(前年1912年12月にもウィーンの労働省に勤めましたが、2時間で辞職しています)、そして8月のウィーン旅行時から没後の1914年に出席される第二詩集『夢の中のセバスチャン』期の詩作が始まります。第6景「Grodek」は地名「Grodeg」グローデクで、1914年7月28日にオーストリア・ハンガリー帝国がセルビアに宣戦布告して勃発した第一次世界大戦に、8月24日に衛生将校の薬剤士官補としてガリシア戦線に従軍したトラークルは、前述の通り9月にグローデクでの激戦で一夜に数百人の重傷兵を一人で担当する激務に遭い、その数日後ピストル自殺未遂を起こして入院します。この激戦が遺稿詩集『夢の中のセバスチャン』の最後の詩「グローデク」に描かれています。第7景「Der Freitod」は「Suicide」、10月中旬にクラーカワ衛生病院の精神病棟に監禁されたトラークルは、11月3月夜9時に痛み止め・睡眠剤として処方されていたコカインを過剰摂取し「白い眠り」(トラークルがコカイン摂取状態の昏睡を指した表現で、日本のバンド、裸のラリーズの代表曲「白い目覚め」のタイトルの由来になります)に陥って服毒自殺しました。薬剤師だったトラークルは致死量までコカインを備蓄していたので、明白な自殺です。享年27歳。第1景の「薬局"白衣の天使"」は薬局名なら"白衣の天使"でしょうが、普通名詞とするなら単に「白い天使」で、トラークルの薬物自殺の「白い眠り」にもかけてあると取れます。「白い天使」から「白い眠り」と、第1景と円環をなすこの第7景でオペラは終わります。ゲオルク・トラークルの詩集は注釈対訳つきの専門書に加え日本語訳で全詩集、選詩集が数種あり、また未定稿や散文、書簡を含む全集(この全集の日本語訳が註釈書や選詩集より劣る、いちばんこなれない翻訳のは皮肉ですが)の翻訳もあり、さらに数種の伝記、研究書も翻訳されていますので、興味を持たれた方はシュルツェの本作の鑑賞ともどもそれらが参考になります。トラークルの詩は名作ぞろいで、20世紀現代詩の古典として残る作品が2冊の詩集に数々あり、第一詩集の「凋落」「清らかな秋」「妹に」「死の近さ」「夕べの歌」、第二詩集の「夢の中のセバスチャン」「カスパー・ハウザーの歌」「冬に」「カール・クラウス」「夭逝者たちに」「嘆き」など十指にあまりありますが、オペラ第6景の表題作でもあり、おそらくトラークル自身も遺作として遺した最後の詩、「グローデク」を上げておきましょう。日本語訳は10年余をかけた日本初のトラークル詩集の翻訳である平井俊夫氏の訳を借り、理解の便のため最小限の数か所に句読点を補い、訳語を平井氏の訳では最終行「生まれていない裔(すえ)の者らを。」からだけを「まだ生まれない未来の子どもたちへと」と平易な表現に変えました。

 グローデク
 ゲオルク・トラークル

夕暮れに秋の森がひびきわたる
死の砲火につつまれ。金の野や
青い湖をこえて太陽が沈みおちる。
ひときわ昏く落ちて夜がいだく
死んでゆく兵士を 惨い嘆きを
洩らす砕かれた口を。
おお 柳の茂る谷で
怒れる神が住む赤い雲が
流れた血を啜っている。月の冷気。
街々は黒い腐敗のなかにおちて
夜の金の枝と星の下を
妹の影が黙す杜をとおってゆく、
勇士らの霊と血にぬれた亡骸を弔いつつ。
秋の暗い笛がかすかに葦のなかでうたう。
おお 気高いかなしみ。青銅の祭壇よ、
大きい苦しみがいま精神の熱い炎をはぐくむ、
まだ生まれない未来の子どもたちへと。

(引用詩は平井俊夫訳『トラークル詩集』筑摩書房・筑摩叢書100、昭和42年/1967年11月刊に依りました。)

(旧記事を手直しし、再掲載しました。)