大学生管弦楽団に思うこと | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 土曜日は暑かったですね。東京は33度もあったそうです。この暑い日の夕方に都立大学前にあるパーシモンホールへ昭和大学オケの演奏会に行きました。


ホール

 指揮をされている山下さん(日フィルで以前ヴィオラを弾いていた)とは昔から縁があり、妻がエキストラで参加していました。背骨を圧迫骨折してから旗の台の昭和大学に重いチェロを担いで練習に通うには不可能になり、今は行っていません。


 毎年聴きに行っていますが、年々団員が増えてきて百人を超す人数です。それも大変に上手です。現役と卒業生が殆どでエキストラは少ないです。10年以上前に旧杉並公会堂で開いたこじんまりとした演奏会は嘘みたいです。


 今では小学生で習わせる楽器がピアノからヴァイオリンに変わってきたそううです。昔はピアノが圧倒的でした。妻も子供の頃からピアノが家にありましたからピアノをやってました。結婚して札幌に転勤した時は、近所の小学生や中学生にピアノを教えていました。30歳代の人の子供の頃の習い事はピアノが第3位だそうですから、今の大学生でヴァイオリンを習っていた人が結構多いと思われます。


 昭和大学は医学の大学ですから、医者の子弟が多く、家庭でもピアノを弾く母親が多いでしょう。ヨーロッパではアンサンブルをやる医者の家庭が多いそうです。ですから子供達にはピアノ以外の楽器を習わせる家庭が多いのでしょう。3年前の昭和大の演奏会では団員の女子学生がブルッフのヴァイオン協奏曲1番を独奏しました。コンクール上位入賞者だそうで、大変に上手でした。我々の時代は演奏旅行ではありえますが、普通の大学の定期演奏会では部員が協奏曲の独奏者を務めるなんってあり得ませんでした。部員の数が増えただけでなく、レベルも上がったんですね。


 我々が卒業した早稲田大学のオーケストラは部員が200人を超えるそうで、先日きた案内ではやはり女子部員がブルッフの協奏曲1番を弾くそうです。我々の時代とは隔世の感があります。


プログラム」

 今日の昭和大のプログラムはボロディン、チャイコフスキーの序曲1812年とドボルザークの交響曲8番で、今年のアマオケはドボルザークの8番が多いみたいです。アマチュアにパート毎にダメ出しをしてたら切りがないのですが、全体の勢いと息が合っているかが勝負で、1812年は全員の息も合って勢いもすごく、ナポレオン戦争で冬将軍に敗退してゆくナポレオン軍とロシアの民衆の歓喜の声の盛り上がりを聴かせてくれ、とても素晴らしい演奏でした。


 最近は団塊世代が増え音楽会の切符を取るのも昔より大変になってきたので、プロや訪日演奏家の音楽会に行くこともなくなりました。ただ、アマのオーケストラを聴くことが結構増えました。これも知人や友人が元気で弾いている証拠かもしれませんね。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ