妻が短期留学でパリに行った時、最初に宿泊したのが今はオルセー美術館になっている旧オルセー駅近くの17世紀に建てられた三星ホテルです。お金がないのでアメリカのミネソタ州から来て、ホテルの手伝をしていたメアリーを頼りに、サンジェルマンの駅の近くのホテル・コンデという無星のホテルに移りました。ここに10日ほど滞在しました。
真っすぐ行くとリュクサンブール庭園に突き当たります。園内は広くて、緑が多く気持ちがいい。南門を入ってすぐの所に「メディシスの泉」があります。ここは特に静かで、シーンとしていて、聞こえるのは鳥の囀りくらいです。殆ど毎日訪れました。
ローマのトレビの泉程ほどではないが、泉の底には小銭がキラキラ光っています。また訪れたいと願っているのだろうか。マリー・ド・メディシスはフランス王アンリ四世にイタリアのメディチ家から嫁いで来た女性で、いわば民間人。彼女の持参金目当ての政略結婚です。
夫君アンリ四世が暗殺された後、1600年代初めにリュクサンブール公爵から彼の館と広大な土地を購入し、故郷フレンツェのピッテイ宮を模して作った庭園。マリーもここに住んでました。息子のルイ13世の摂政となりますが、政治的には人気がなく、最後は国外追放されてしまいます。
そう言えばルーベンスに描かせたマリー・ド・メディシスの生涯の24枚の連作がルーブル美術館に飾ってあります。
ちょっと時代がさかのぼりますが、最初のメディチ家からの王妃は1500年代初めにアンリ二世に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスですが、彼女は食事の作法をイタリアからフランスの宮廷に持ち込み、フォークなどを使わせました。それまでフランスでもイギリスでも手づかみで食べていたらしいです。料理人も連れてきましたから、今のフランス料理の隆盛は彼女のおかげかも知れませんね。
メディシスの泉はいつ作られたのか判りませんが、この泉の側にいると心が休まります。そんな想いを蘇らせながらかなり昔に描いた水彩画です。(右のメディシスの泉は去年再び描いた水彩画です)
リュクサンブールには大きな8角形の池があり、周りに緑色のパイプ椅子が並んでいます。当時、有料で座っていると徴収人がどこからとなく現れ、お金を取られるので、姿を見たら即逃げ出したものです。
更にギニョールという子供のための人形劇の屋台があります。勧善懲悪的なお話で、幼稚園児くらいの子供たちがキャーキャーいいながら見ている。話は単純だからフランス語が解らない6歳の息子でも楽しめました。
更に行くと自由の女神のレプリカがあります。ニューヨークの自由の女神像を立てるときの準備用に作ったものらしい。セーヌのグルネル橋の橋脚の傍にもレプリカが立っており、東京のお台場にもフランスで作られたレプリカが立っている。世界中にあるらしい。毎日この庭園に散歩に行きました。
パリでテロ事件が起きたばかりで、ベルギーでもテロ事件が起き、ヨーロッパ旅行も危険で叶わなくなります。世界中が危険で、観光での海外旅行は無理ですね。昔を思い出して懐かしむ以外に方法がないのかも。
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページです