再び長文になりますので語学に関心のない方はスルーしてください。
日本や日本人に対する当時のフランス人の感情は、現在のそれとは雲泥の差がありました。偏見というべきかもしれない。アメリカの中西部から来るとパリは偏見が渦巻く別世界でした。激しい差別はないのでまだいいのですが、パリに憧れるなんてまるでない。パリは大嫌いでした。じゃ何でパリに来たのか?妻のノッコがパリ大学の夏期講座に出るためです。フランス語教授法を学んで帰国し、小さな語学学校のフランス語の講師になりました。
ホテル・コンデはサンジェルマン大通りのオデオン駅から坂を上り切った角にありました。真っすぐ進むとリュクサンブール庭園に行きつき、右に折れるとサンシュルピス通りです。
写真の右側がサンシュルピス教会。ここのオルガンは美しい音色が有名で、時々練習を聞きに行きました。
ホテル・コンデは無星ホテルですから段違いに設備が悪い。エレべ-ターはなく、階段にあるミニツティエールというボタンを押すと1分間だけ階段の電燈が点灯します。部屋は5階だからすぐ暗くなり、途中でまた押します。トイレは各階に一つの共同で、用をたしに入ると裸電球がつき、出ると消えます。
肝っ玉母ちゃんが受付台にいます。チャオがコップを割っちゃって、「割っちゃてご免ね」って英語で言ったら、おばちゃんが一言「カタストロフさ」って返事。びっくりした、英語でカタストロフって単語を子供に使うだろうか。物には「お終いがあるものさ」って意味で使っていたが、フランスではカタストロフを日常的に使うけど、英語ではそうはいかない。変なところで感心してしまった。
ホテルにシャワーが有料で1か所。但し何故かビデだけは各室にあるのがいかにもフランス的です。印象派の絵にタライで水浴する女性が登場しますが、安アパートには浴室などないのが普通で、フランス人は風呂に入らない国民だと言われていました。香水が発達したのも、風呂に入らない体臭をごまかすためだとか。
それでもドイツ人観光客が結構このホテルを利用していました。まさに質実剛健な国民ですね。当時日本人の観光客は殆どいなかったが、日本人観光客なら我慢が出来ないと思います。
ある時、サンシュルピス教会の裏手の地下に本屋さんを発見。キリスト教関係の書籍を扱っているのですが、子供の本もありました。どうせ読めないけど、ママはチャオに「ティトゥーがお医者さんの所で」という絵本を買いました。
その後も子供向けの小さな絵本を数冊ママはチャオに買いました。私は高校の課外授業と大学でフランス語を学んだけれど、忘れていたので、この子供の絵本が丁度よかった。語学力の低い人は子供向の絵本が最適だと思いました。チャオはフランス語は喋れなかったけど、ホテルでメアリーと英語で話せたので少しは気晴らしになったと思う。
このホテルでも金銭的負担が大きかった。たまたま日本人の尼さんの紹介で、シテ・ユニバルシティの近くのモンスーリ公園の前にあるマリア会宿泊所に再び移りました。共有のシャワー室や台所があり、自炊が出来るので外食の必要もなく随分と楽になりました。チャオは英語を話す機会を失ったけどね。それでも、パリ大学でノッコが知り合ったカナダ人のマーク・グレイという男性が遊びに来てくれたので、ママはブッフ・ブルギニヨンを料理して楽しい一夜を過ごしました。チャオは英語で話せるので凄く興奮していたのを思い出します。
モンスーリ公園の奥にあるシティ・ユニヴェルシテール駅(普段この駅は使わない)
マリア会の宿泊所(通称 INODEP、但し今は引っ越した)。裏庭の教会前の広場から望む。
結局、チャオはフランス語を話せずに終わり、フランスを後にしました。帰国後、小学校に入らなきゃならない。私はインターナショナル・スクールなど英語が話せる学校がいいと思ったのですが、アメリカに行く前に通っていたフランス・カトリック系(幼稚部に行っていた)の学校に入れてもらうことにしました。一年生からフランス語が必須で、途中編入でしたが、フランス語はあっという間に上達しました。
9月に帰国して翌年の夏休みを経て9月に、夏休みの自由課題の宿題で、フランス語の絵本を描きました。ママは仕上がりを見て、ほんの少し手を加えたらしい。しかし8か月ばかりの間に、どうやってフランス語を覚えたのだろう、私は不思議に思いました。
20ページの絵本「ルイとジャンが動物園に行く」(夏休みの自由課題)
一般的に一つの外国語をマスターしてしまうと、同じ語族の外国語を覚えるのがはやいと言われています。チャオの場合は、フランス語の文法など殆ど知らない。ママは英語で教えたと言っていました。チャオの場合は日本語で教えるより遙かに効率的だったのでしょう。
大人が学ぼうとすると文法から入るので、読むことはできても聞くことも話すこともできない。聞けて話せれば、読むことも書くことも直ぐにできるようになるはず。但し、言葉の習得も10歳以下でないと駄目らしい。残念ながら、その外国語を使わない生活を3か月ほど続けていると、覚えた言葉をケロッと忘れてしまいます。
今は楽器や、スポーツ、芸能など全ての分野で子供の頃から始めないと駄目ですよね。外国語の場合は、実際に必要に駆られて覚える方法しかない。アジア、アフリカ等の植民地で旧宗主国の言葉を喋らなければ、覚えなければ生きて行けないという状況にいるとか。そんな極端なことでなくとも、実際のビジネスとかスポーツや海外で生活するとか、通訳なしで現地人と直接接さざるを得ない厳しい状況に身を置くことでしょうか。
チャオ本人は私立の学校を嫌って、結局、都立の西高へ進学して、フランス語は役にたたずに終わりました。
Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ