フランス語について綴っているブログで、ある女性が子供向けの易しい仏語の本を紹介してました。
読んでいて、私も思い出しました。息子のチャオの話です。
外国語に関心のない方は、今回のブログは少し長くなりますから、スルーしてください。前篇と後編の二回に分けて書きます。
昔、アメリカのミネソタ大学の大学院に家族連れで留学しました。チャオは5歳でした。新学期は9月に始まるので、住んでいる地区の小学校を見つけ出したら、この小学校には付属の幼稚園があり、小学生と同じようにスークルバスでの通学でした。
初日は言葉で困っていないか心配でしたが、親の心配をよそに、帰宅した瞬間から「早く明日にならないかな、学校、楽しくって」といってウキウキしているので、「言葉は困らなかったの?」ってママが訊いたそうです。「全然平気だったよ」って、全く英語を喋れないのに、ケロッとしていたそうです。
住んでから3か月くらいして、夜中にチャオが寝言を言ってます。よく聞くと英語で喋っています。もう大丈夫って確信しました。案の定、次の日からどんどん英語で喋り出したのです。まるでコップに水が一気に溢れ出るように。
後は何の不自由もなく喋れるようになりました。必要のない単語は覚えない、知っている言葉は100%使う。表現は我々が中学校で習った英語とは違って、動詞ひとつ覚えれば副詞や前置詞などどんどん加えていきます。すると意味が変わるので覚える語数は少なくて済みます。聞くのも読み書きも勿論同年のアメリカの子供と同じレベル。文法も知らない、耳で覚えた英語です。
パリで書いたウィークス家の子供たちに宛てた未投函の手紙。チャオがミネソタのエルモ湖に彼等と釣りに行った時の思い出が綴られている。
この後、フランスへ渡りましたが、本人は相当苦労したようです。当時、英語で話しかけてもフランス語でしか返ってこない。殆どの人たちは英語は理解できるのに、フランス語しか話さない。フランス語にプライドがあるのでしょう。
チャオにフランス語を学ばせようとアカデミー・フランセーズへ行きましたが、年齢制限があり、英語も喋れないからと断られる始末。遂に頭に来たので大喧嘩になった。英語なら担当の女性事務員より上手だよって怒鳴っても、ノンの答えしか返ってこない。イギリスの子供がチャオより小さのにOKがでたのだ。だからパリは大嫌いだった。
パリに滞在中に、英国人の友人に会いにイギリスへ10日ばかり旅行しました。チャオにとっては最高に楽しい日々だったと思います。聞きずらいコクニー訛りの庶民の英語も聞く耳があるので大丈夫。フランスへ帰るためにヴィクトリア駅に行った時、ポツンと一言チャオが呟いた。
"I'll be in trouble again, when we are back in Paris. because I don't speak French"
その後に移ったホテル・コンデ(現在は他人に譲渡してしまった)
パリには当初、オルセー美術館(当時は駅が廃止になって空ビルに)に近くのリル通りにあるベルソリーズ・サンジェルマンという三ツ星ホテルに泊まっていました。これはパリにいた妻のノッコの大学時代の友人が気を利かして3日間予約してくれたホテルでした。素敵な小さなホテルでしたが貧乏人が3日間も泊まるには贅沢だったので、オデオンにあるホテル・コンデという無星のホテルに移りました。そこの使用人がミネソタから来たメアリーだったのです。
(・・・続く)
Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ
