傘に入りません? | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 また昔の話で恐縮です。コーヒーを飲む店をカフェでなくて喫茶店といいました。今でも喫茶店といいますが、絶対カフェとはいいませんでした。フランスではカフェですが、日本ではカフェは夜のお酒を飲む場所でした。時代とともに用語が段々変わってきます。女性が身につける衣類などはすっかり名称が変わりましたよね。

 大学に入った頃は井の頭線の久我山に住んでいましたから、新宿の方が近いのです。しかし新橋の弦楽器店の息子さんに、一時期ヴァイオリンを習ってましたので、遊びに行くときは銀座のほうが多かったです。映画館全盛期で、他に娯楽もなく、よく映画を見に行きました。映画といえば日比谷の映画街でした。

 「レベッカ」、当時読んだ英語のペーパーバック
レベッカ英語

 映画に関しては日比谷の方が新宿より封切り館が圧倒的に多かったです。有楽町の駅から西銀座に抜ける細い道には「レベッカ」という小さいけれど洒落た喫茶店がありました。当時、ダフネ・デュ・モーリアの「レベッカ」がローレンス・オリヴィエやジョーン・フォンテインで映画化されました。ヒチコックの名作です。"Last night I dreamt I went to Manderley again"の回想で始まるスリリングな小説です。レンタルビデオ店で置いてあると思います。当時、日本でも「レベッカ」ブームが起きました。逢引 ( これも死語ですね、デートのことです ) するには隠れ家的な喫茶店でした。

 しかし、今でも一番記憶に残っている喫茶店は、銀座の並木通りの3丁目の角にあった店です。「エチュード」という名曲喫茶です。洒落た店内は照明を少し落としてあります。入り口の側に今では考えられないほどの大きなスピーカーボックスがおいてあります。当時はアンプなど全て真空管の時代でした。LP版はモノラルが大半で、ステレオが出始めていました。大きなステレオの音量が流れ、客は静かに黙って聴いています。

 ある日、店に入るとヴァイオリンの響きがします。魂にガツンとくるほどの音色で飛び上がりそうになり、店の女性に訊きました。
「誰の演奏ですか?」
「ちょっとお待ちください」
奥に行って戻ってきた彼女が小声で言います。
「シェリングだそうです」
曲はバッハの無伴奏のシャコンヌですが、あまりの素晴らしさに身が引き締まる思いでした。

パルティータ2番よりシャコンヌ/H・シェリング(興味ある方は聞いてみてください)
これはデジタルでライブですから当時のLPの音とは全然違いますが。


 店を出ても、頭の中はヴァイオリンが鳴り響いています。
ぼんやりと並木通りを歩いてきて、晴海通りで銀座4丁目の地下鉄駅に向かって進んでくいくと、小雨が降ってきます、そして急に大粒の雨になってきました。

「傘に入りません?」
突然、若い女性の澄んだ声が私の頭のなかの音楽と共鳴したのです。
驚いて振り返ると傘をさした女性が傍にいました。
「私のでよかったら」
「あっ、有難うございます」
私は何の躊躇もなく傘に入れてもらいました。
「地下鉄の駅までですから、直ぐそこです」
大粒の雨の中、80メートルほど女物の小さめの傘の下で寄り添って歩きました。
その間どんな言葉を交わしたか覚えていません。
19歳の私より4~5歳年上の23歳くらいだったと思います。
美しい人です。
「どうも有難うございました」
この見知らぬ美しい女性にお礼を述べて別れました。
通り雨のように雨はこやみになり、地下鉄駅の入り口で空を見上げていました。
彼女は銀座の4丁目の交差点を右に渡り銀座通りに消えて行きました。
当時は年上の若い女性に一番魅力を感じていました。
まるで一瞬の幻のようでした。
別れてから胸がドキドキしたのを覚えています。

 残念ながらプレイボーイ・タイプじゃないので、神様がくれた折角のチャンスを逃してしまいましたが、これが恋に発展すれば・・・・そんな馬鹿な、あり得ない、あり得ない・・・・映画の世界じゃあるまいし。

 当時は若かったんですね。 昔の思い出です。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページ
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