モーツアルトのヴァイオリン | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 先週、大学時代の後輩の美人女史が新聞の囲み記事を「ヴィオさんならきっと行くと思うから」と言って渡してくれました。


外
 記事は「モーツアルトのヴァイオリン、第一生命ギャラリーで日本初公開」とある。これは何が何でも行かなきゃって、昨日、三人で日比谷まで行って来ました。イチョウが黄色く色づき秋の日差しが美しい午後でした。

新聞

 15年ほど前にザルツブルグやウィーンを訪れました。私は中学一年生の時に貯めたポケットマネーでモーツアルトのヴァイオリン協奏曲5番のSPレコードを買い、翌年ヴァイオリンを始めました。以来ずっとモーツアルトのフアンです。


家
  <.復元された1773年から住んでいた家>


 ザルツブルグのマカルト広場にある1773年~1780までの間、モーツアルトがウィーンに行くまで住んでいた家で、戦争で大半は破壊され我々が訪れた3年前の1995年に第一生命の援助で昔の通り復元補修されたのです。だから我々が訪れた時はⅠ階が記念品販売場で2階はガラーンとして何もない状態でした。


 その後モーツアルテウム財団が管理するようになったそうです。それで第一生命で音楽会となりました。ヴァイオリンはモーツアルトが35歳で亡くなってから、妻のコンスタンツェに渡り、数人の手を経て最終的にモーツルアテウム財団が保管するようになったそうです。


ゲトライデ
  <ザルツブルグのゲトライデ通りの生家>


 陳列室にはモーツアルトの曲の初版出版楽譜が5枚ほど、自筆譜が3枚ほど出されていて大変に興味深かったです。それに慣れ親しんだモーツアルトや家族の絵が飾ってあります。


ウィーン家
<ウィーンでコンスタンツェと住んでいたフィガロハウス>


 このヴァイオリンはモーツアルトが大司教にウィーンに呼び出された1781年の25歳の頃に購入したらしい。イタリア製でピエトロ・コスタの1764年の作です。


ヴァイオリン

ピアノ

 ヴァイオリンの演奏はモーツアルテウム管弦楽団のコンサートマスターがレプリカのピアノフォルテの伴奏で3曲弾いてくれました。モーツアルトはヴァイオリン協奏曲は19歳の時の5曲しか書いていていませんが、ヴァイオリン・ソナタは42曲も作曲しています。今日は、若い時にパリに赴いた際に作曲されたK301、K304と最後のヴァイオリン・ソナタのk526を演奏しました。


ヴァイオリン2

 ヴァイオリンは当時のままなのか、力木などで補強してあるのかは不明ですが、ガット弦を使っているので、柔らかい、枯れた優しい音で、女性的な響きでモーツアルトの曲に相応し音色です。ピアノフォルテもトツトツと音を奏で、今のピアノよりも軽やかでモーツアルトらしい響きでした。


席

 遺品の陳列の見学は自由ですが、モーツアルトのヴァイオリンによる1時間ほどの演奏会があり、そのための整理券を貰うのに長蛇の列です。席は折たたみ椅子が500席ばかり、入って直ぐのホールに並べられています。座れない観客が立ち見で聴くほどの超満員でした。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ