パリのリュクサンブール公園に「メディシスの泉」という小さな泉があります。昔、パリに3ヶ月ほど住んでいた時には、よく訪れていました。とても静かで優雅な長方形の泉です。
マリー・ド・メディシスとはイタリアのメディチ家からフランス王アンリ4世に嫁いで来た女性で、イタリアでは名門ですが民間から嫁いできたフランス王妃です。
1612年に彼女の命によってリュクサンブ-ル庭園が作られました。故郷のフィレンツェにあるピッティ宮の庭園に似ています。その後にこの泉が作られたらしいです。彼女の一生は波乱に満ちています。
アンリ4世亡き後、幼い息子の王の摂政として政務を補佐し、さまざまな出来事を起こして、最後はベルギーに追放されて、ケルンで亡くなっています。
ルーブル美術館にはルーベンスに描かせた「マリー・ド・メディシスの生涯」という24枚の連作があります。これを見た時の感動は忘れません。
20年以上前にパリを訪れた際に撮ったメディシスの泉の写真をもとに水彩で描いてみました。ちょっと明る過ぎたかな、晴れた夏の日でも、もっと薄暗いです。ローマのトレビの泉みたいに、泉の底には小銭が光ってます。誰か投げ入れて行くのでしょう。
フランス王妃にはもう一人、メディチ家から嫁いできたカトリーヌ・ド・メディシスがいます。
マリーより60年位前の女性ですが、彼女はフランスにフォークとナイフを持ち込みフランスの食文化を変えた女性です。それまでフランスでは女性も男性も手づかみで食事をしていたそうです。それを考えると箸の文化って素晴らしいと思いますね。
彼女も夫君のアンリ2世の事故死の後、息子の摂政として政治に関与し、宗教戦争で悪名を残してしまうなど、彼女は波乱に満ちた人生を送ったようです。
Viosan の「ミネソタの遠い日々」
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