カナダの思い出 - モントリオール 07 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 マリーはフランス系のカナダ人である。ケベック州はフランス系が多く、公用語もフランス語だ。標識も、公共施設や公文書もフランス語だけだ。しかし、80%以上のフランス系の人たちは英語を話すという。ノッコはフランス語で会話ができるが、私のフランス語では日常会話も難しいので、私達も英語で話していた。アメリカの英語がイギリスの英語と違うように、フランス語もフランスのとはちっと異なる。


 「カナダは国旗が変わっただけで、国家元首を自国民が選べないなんて、オーストラリアやニュージーラノドと同じく、独立国の体をなしてないよね。コモンウェルスなどと云っているけど」ちょっと辛辣なことを言ってしまった。立憲君主制では、日本もそうだが、国民が国家元首を選べないのだが、それとは訳が違う。


 「イギリスの女王が国家元首なんて不思議に思うでしょうね。フランス系はケベック州では多数派だけども、カナダ全体から見ればマイノリティだから」マリーは余り語ろうとしない。


 元々カナダのセント・ローレンス川流域と、更にアメリカのミネソタからミシシッピー川を下ってルイジアナ州までの広大な土地はフランス領だった。


 カナダのケベック州がイギリスに占領され、ルイジアナ・パーチェイスでミシシッピー川流域をナポレオンが戦費調達ためにアメリカに売り渡してしまう。フランスは植民地経営がイギリスほど上手ではない。というより、スペインやポルトガルなどカトリックの国は植民地を略奪の対象としか考えてなっかった。鶏を大きくして卵を沢山産ませるのがイギリス。首を絞めてでも卵を産ませるのがカトリックの国々だ。

遠い夏に想いを-カルティエ広場
 カルティエ広場の市庁舎のそばにイギリスのネルソン提督の像が立っている。ロンドンのトラファルガー広場にもあるのを思い出した。ネルソンといえばナポレオンを打ち破ったイギリスの英雄だ。ナポレオンも好きではないが、こんなところにネルソン像があるとは?かってドゴール将軍がフランスからやって来て市庁舎のバルコニーから「フランス万歳」と叫んだとか、逸話が残っているが、もう昔話に過ぎない


遠い夏に想いを-シール  アメリカに初めてやってきたヨーロッパ人は誰かって問えば、「コロンブス」と答えるだろう。ブッ、ブゥ、ブーである。11世紀にすでにゲルマン系のゴート人がアイスランドから到着しているのだ。彼らは猟師で毛皮を取っていたらしい。その後フランス人がやってきてインデアン達と共存を図る。北のミネソタの州章にはフランス語で「L'etoile du Nord」と記されているくらいだ。


遠い夏に想いを-レストラン街
 7時になっていたので、マリーと夕食をとった。マリーがレストランを選んでくれた。当然フランス料理風だ。結構美味しかった。今日は本当に有難う、マリー、何もしてあげられなかったけれど。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ