ハイリゲンシュタットの遺書の家 - 065 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 ハイリゲンシュタットの遺書の家に行くには、まだ少し坂道を登って行かなければならない。空も澄みわたった9月の気持ちの良い一日だ。

 遺書の家には庭から入った。2階の入り口には、少し太り気味の受付の男がタバコを吹かしている。正面と後ろ側に2つの階段があり、一瞬どちらか迷っていたら、この男が『こっちだ』というように手で合図する。入館料を払って中に入る。
$遠い夏に想いを-遺書の家1

 記念館というのは何処も同じで、殆ど何も残っていないものだ。80回以上も住まいを変えた引越魔の芸術家、特に、音楽家が住んだ家に何も残っていないのが当たり前なのだろう。だが、やはり何か寂しい。ここの遺書の家もご多分に漏れず、何かを見ようと思ったら失望するだけである。むしろ遺書の家が約200年間も残っていて、そこを訪れることができたことに無上の喜びを見出さなければならない。苦悩するベートーヴェンに思いを馳せるだけで素晴らしい。

 ベートーベンがここに1805年4月から半年ばかり住んでいた。この間に交響曲第2番や作品31のピアノソナタ3曲を作曲し、更に、作品30の1から3まで、即ち、ヴァイオリン・ソナタの6番、7番、8番の3曲を書いている。




 6番は優しさの溢れる曲で、特に、第2楽章のアダージョは憂いと優雅さと透明感にみちた楽章で涙がこぼれるほど美しい。モーツアルトのアダージョもみなこよなく美しいが、美しいアダージョが書けなければ、偉大な作曲家とは言えないことを証明しているようだ。(私はヴァイオリンを弾くのでヴァイオリン・ソナタを載せます。ヂュメーとピレスはモーツアルト向きと思うのですが、このベートーベの優美さは何とも言えません)。

 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ