「ベートーベン研究」 - 062 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 ハイリゲンシュタット駅はまだ工事中だった。改装工事なのだろうか。駅前に出ると、直ぐにバス乗り場がある。並木があって、バスを待っている人達が溢れている。ここには市電があり、電車で行こうと思うのだが、市電の線路が見つからない。バスの運転手に聞くのだが、英語は全然通じない。英語が通じないといえば、フィレンツェの空港のバスの運転手を思い出す。イタリア語しか通じなかった。ここでも仕方がないので、地図と睨めっこで、更に先へ進んだ。すると電車の通りが現れた。


 最初の電車はD停留所までは行かないので一台待った。次の電車に乗って終点のD停留所で降りる。直ぐにベートーヴェンの散歩道、ベートーヴェンガングに出た。


遠い夏に想いを-標識1
 左手に小川が流れ、その土手に張られている金網のフェンスが雰囲気を損なう。この小道は緩やかな上り坂で、急ぎ足で歩くと今日のような陽気では汗ばむ。ベートーヴェンも同じように歩いていたのだろう。小道の右手は住宅地になっていてポツンポツンと洒落た一戸建てが建っている。
「こんな処に住めたらいいのにね」
ノッコが溜め息をもらす。アメリカでもイギリスでも同じ言葉をもらして、溜め息をついていたっけ。


遠い夏に想いを-小川
 多分、ここを歩きながら、ベートーヴェンは田園交響曲のインスピレーションを得ていたのだろうか。ノッコの好きな音楽家はベートーヴェンとバッハだ。それに引き換え、チェロの曲を一つも残していない(多分、書いたのだけれども弾ける状態で残っていないといった方が正確だろう)モーツアルトに対しては私ほどには関心がない。


 大学の仏文の卒論にロマンロランは当時として順当だったのだが、音楽大学ではないのでベートーヴェンとなると、担当の仏文の教授も専門外で困ったらしい。結局、他の学部のピアノが非常に上手で音楽の解る教授に見て貰ったらしい。


遠い夏に想いを-ロラン
 今、ロマン・ロランの「ベートーベン研究」を読むと、若い時のようには夢中になれない。歳を取るとは感性を削り落としながら、現実的になっていくことだと思う。それに、これは小説ではない。彼の言わんとしている本題は本の30%にもならない。何故ならロランが美辞麗句が多い自分の言葉に酔いしれているとしか思えないからだ。若い時には決してそうは考えなかったと思う。歳は取りたくないですね。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ