シェーンブルン宮殿の庭園を歩いてみようと思ったが、夕暮れが迫っていた。庭を散歩したいが時間がない。歩くには広大過ぎる。
シェーンブルン宮殿の黄色は石自体の自然色ではなく、ペンキを塗ってあるので、所々剥げ落ちている。近くで見ると少々みすぼらしい。
今夜はドイツ館での弦楽四重奏の演奏会がある。街まで戻って、ホテルの近くのイタリア・レストランで夕食を取る。時間がないので、気軽な大衆的なレストランに入ったのだが、これが間違いの元だった。パスタはふにゃふにゃで、肉は味がないと来ているので、空腹を満たすだけになった。やはり、オーストリヤ風のレストランを捜さなければ美味しい物は食べられない。イタリア料理やフランス料理を食べるなら、イタリア人かフランス人のシェフがいる店でないと駄目だが、旅行者が探すのは難しい。
ドイツ館へは少し早く着いた。館内の白壁にはモーツアルトについてのプレートが掛かっている。『1781年3月16日から5月2日までモーツアルトが住んでいた』という内容だ。例の有名なアルコ伯事件があった時である。これを機に、モーツアルトはウイーンに移り住んで作曲活動に専念しようと決意する。
当時、宮使えの音楽家が自立して作曲活動を決意するというのは大変なことであったろう。ヘンデルが後年イギリスで商業オペラの活動をしていたけれど、結局晩年は失敗してしまう。当時は、作曲家よりも、歌手に人気があり、特に、カストラートの言いなりの時代だ。モーツアルトの時代にも子供の頃はカストラートがまだいた。だが、オペラを上演するにはさまざまな妬みや妨害を受け、作曲が思うように出来ないこたが多かったらしい。
Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ