シェーンブルン宮殿 - 052 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 3時頃からは、シェーンブルン宮殿に行ってみる。カールプラッツ駅から地下鉄に乗って15分ほど行くと、シェーンブルン駅だ。


 1972年に来たときは地下鉄という便利な乗り物は開通していなかった。だから、バスに乗るしかなかったし、観光客には半日ツアーのような物しかなく、時間のない我々は諦らめざるを得なかった。


 日曜日のせいだろうか、シェーンブルン宮殿は観光客で賑わっていた。宮殿に入るのに長い列が出来ている。進み具合は順調で、直ぐに中に入れた。観光ルート別に料金が異なっており、我々は並みのコースをとった。


遠い夏に想いを-シェーンブルン
 現在の人気ナンバーワンはエリザベート妃だ。彼女のトレーニング・ルームだとか、トレーニング機器だとか、彼女のドレスだとか、色々と陳列されている。


遠い夏に想いを-鏡の間
遠い夏に想いを-モーツアルト  モーツアルトが第1回目の西方大旅行の折り、1762年にシェーンブルン宮殿の鏡の間で演奏した。モーツアルトがマリア・テレジアの膝に乗ってキスをしたというのは本当だと思う。そしてお土産に最礼服を貰った。マリー・アントワネットに『大きくなたら、ぼくのお嫁さんにしてあげる』と言ったのもこの時だった。


 子供を連れてヨーロッパを旅行してみて、国によって子供に対する接し方が違うのに気付く。子供に関しては、フランスは一番子供に厳しく冷たい。子供と大人を区別しない主義らしいが、大人の都合しか見えてこない。フランスでモーツアルトも高貴な王女の膝に駆け上がろうとして、こっぴどくたしなめられている。パリでオペール(女中)をしていた洋子さんと知り合いになったが、彼女も同じことを言っていた。家の大人は自分の子供達に対して厳格を通り過ぎて冷酷なくらい冷たく扱うので、見ていて可哀相だったと言っていた。今では国による育児保護政策が行き届いて、世界有数の出生率を誇る国になってしまったが。


 街の人たちも子供には無関心だった。オーストリアでもイタリアでもイギリスでもそんなことはない。みな優しいのだ。1972年の時は、ドーバー海峡を船で渡ったが、乗った連絡船では英国のおばさんも、イタリアのおばさんも、こちらのベンチに来なさいと息子のチャオに手招きしてくれたものだ。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ