水って何だけ - 042 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 日本だと、まずコップに水をいれて持ってくるが、ヨーロッパではまずそんな習慣はないから手持ちぶたさである。フランスやイタリアなどでは水が不味いから、ワインを飲むのだろう。「食事時に水を飲むのは蛙かアメリカ人」などと当時は揶揄されたものだ。知らない街に来て、ことばも通じないと不安になり、何となく口をつぐんで黙ってしまう。


遠い夏に想いを-シュニツエル  目の前に出されたウインナー・シュニツェルは大きな皿からはみ出しそうなくらい大きかった。ただアメリカのステーキなどと違って分厚くなく、肉を薄く延ばした感じである。それに温かい牛肉料理などは久しぶりなので、じつに美味しかった。


 ウインナー・シュニツェルはその昔オーストリアが北イタリアを支配していたころに、イタリアからやって来たのではないかと思う。諸説があるが、ミラノ風カツレツを牛肉に変えて料理したとしか思えない。


 久しぶりの外食で、お腹いっぱいになって店を出ようとしたら、「水が欲しい」とチャオが言い出した。ここのレストランでは誰もドイツ語以外は解らないし、我々はドイツ語が解らないのだから、大変である。


 その頃はシュテファンの近くでも、英語が通じない安レストランが結構あった。民宿のおばあさんから冷蔵庫のなかの食料品の単語は習ってメモして置いたのだが、水は訊いていなかった。


 そこで、まず、単純に「ウォター、プリーズ」と英語で頼んでみた。通じない。仕方がないので、wの発音はvと同じだろう、自動車のワーゲンはワーゲンでなくてヴァーゲンだろう。そこで今度は、「ヴァーター、プリーズ」と言ってみたがやはり駄目だ。「ヴォウター」だ。「ヴァーラー」だ。と色々やたが、ヴァッサーというドイツ語が出てこない。まさにこれは「コーヒー」と言うように、単語だけだと文脈で推測できないのと同じだ。だがミネソタでの「コーヒー」の場合より、もっと始末が悪い。なにせドイツ語が判らないのだから。


 結局、諦らめて店を出ようと席を立った。民宿へ戻れば水くらい飲めるのだから、チャオもそれでいいと言う。すると、さっきのウエイトレスがコップに水をいっぱい満たして、中空に持ち上げ、「これか」と言うように我々に声を掛けている。「ヤー、ヤー」と言って、チャオに取りに行かせた。「ダンケシェーン!」これで知っているドイツ語は全部だ。


遠い夏に想いを-4人の男

 この様子を見ていた4人の男達はチャオに、こちらに来いと手招きする、工場労働者のようにかっちりとした両腕で功を抱きかかえ、「さあー、これを食べな、あれを食べな」と皿を突き出すが、チャオも腹一杯ウインナー・シュニツェルを食べた後なので、さすがにもう入らない。まるで小猫をあやすみたいに、もみくちゃにされて、やっと離してくれた。チャオはニコニコして、英語で遣り合っている。英語は通じないのだが、それでも英語が出てくる。我々に喋る時も、英語だった。


 チャオはどこへ行っても、物怖じせず、初めての人からも可愛がられた。全く、得な子である。子供を連れての旅だったので、そこの国の子供に対する優しさが手に取るように解った。この点、フランスは最悪であった。モーツアルトの時代でも同じだった。子供の頃の大旅行の際に、マリー・アントワネットに「ぼくのお嫁さんにしてあげる」と叫んだ時も、マリア・テレジアの膝に飛び込んでキスしてもらった。同じことをフランスの王女さまにやろうとしたら、こっぴどく叱られたという逸話が残っている。


 「アウフビターゼン!」と声をかけて店を出た。パリでも、ロンドンでも、フィレンツエでも、こうゆう安レストランでの思い出が私達には多い。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ