当時お金がないから、レストランには滅多に入らなかった。その昔、たまたまウイーンで入ったレストランも、やはり発見できなかった。
1972年の時も、レストランの思い出はやはり言葉に関係があった。シュテファン教会の近くに小さなレストランがあった。入り口の外壁にはゴシック文字で手書きのメニューが出ていた。
貧乏旅行だから、いつもパンはパン屋で、ハムは肉屋で、サラダ類の野菜は八百屋でという風に、手を掛けなくとも食べられるものを買い集めて、ホテルや民宿で食べることにしていた。そのために簡単な食器は持ち歩いていた。
しかし、余りにひもじい思いをするのもいけないと思い、各国に一度くらいは、安レストランで夕食をとることにしていた。ドイツ語のメニューを見てもかいもく解らない。言葉だけでなく、料理もイメージが湧かない。諦らめようと思って、再度、見ていたら『ウインナー・シュニツェル』という言葉が読み取れた。
「みんな、ウインナー・シュニツェルでいいかい」
「ウインナー・シュニツェルって何?」
息子のチャオが訊く。
「うーん、牛肉のフライみたいなやつだ」
何たって、ウイーンに来て知っている料理はウインナー・シュニツェルだけだし、ウインナー・シュニツェルなんて日本に帰ったら食べられないこと間違いないのだから、有無言わさず3人ともウインナー・シュニツェルに決定した。
レストランの店内は意外と広くて、奥行きがあった。奥の席に行き座った。時間が早かったせいもあって、客は私達以外に二組、男女が一組と、男の客が4人中央のテーブルに陣取っている。
暫らくして、ウエイトレスがやって来た。日本人が、と言うよりもアジア人がこんなレストランに来ないのだろうか、いぶかしげに対応する。我々の知っている料理はウインナー・シュニツェルだけだが、一応出されたメニューに目を通す。
「ウインナー・シュニツェル、3つ」
そう言って、3本指を出す。
ウエイトレスは、にこりともしないで、そのまま調理場に戻ってウインナー・シュニツェルのオーダーを入れている。
Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ