そもそも、ドイツ語が3人とも解らないので、英語、フランス語、イタリア語が通じない国には行かないつもりだったが、音楽とウイーンとは切っても切り離せないので、止むを得ず来てしまったのだ。
民宿の主人は英語が達者なおじいさんで苦労はなかったのだが、次の日になって、おじいさんは出かけてしまい、おばーさん一人が民宿で留守番することになった。さあー、大変だ。おばーさんはドイツ語しか話さない。おばーさんは昔話に出てくるおばーさんそっくりだ。丸い金縁のメガネをかけて、背が小さくて、小太りで、ニコニコ微笑んでいる姿は何とも微笑ましい。
私達はドイツ語が全く出来ないので、単語を20個ばかりドイツ語でどう言うのか聞いてみた。殆ど食料品であったので、私達を台所に連れていって、冷蔵庫を開け一つ一つ指差してドイツ語で教えてくれる。
そして、いつの間にか立ち話になった。おばーさんはドイツ語しか解らない。私達はドイツ語が解らない。おばーさんは私のスエットシャツ(大学名が入ったのを着ていだ)の「Minnesota」という刺繍に目をやって、ミ…ネ…ソ…タと読んだ。「Minnesotaって何かね?」と訊くから、「アメリカの州の名前で、そこの大学で勉強してました」と答えた。そして、おばーさんはどんどんドイツ語で話し始めた。抽象的な話しだから、コミニュケーションが可能だろうかと疑ったが、手真似足真似で言いたいことを喋る。ところが或る程度通じるから、不思議である。
<1972年にローランド家族に合いにイギリスのバーミンガムを訪れた時。当時ヒッピーの全盛時代で、髪も長髪だった。ここをクリック
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おばーさんのお嬢さんが結婚してアメリカのミシガン州に住んでいると言う。旦那さんは弁護士だそうだが、ミシガンはミネソタと離れているのかと聞くから、近いと手まねで答えると、そうかと、お嬢さんに逢いたいなという。更に、ウイーンのことについて話している.
じっと聞いていたチャオが下から見上げながら英語で言う。
「パパ、なんで英語喋っているの? 通しないんだから日本語だって同じじゃない」
まさに、真実だ。7歳の子供にしてやられてしまった。しかし、外国に2年もいると、通じようが通じまいが、外国人と向き合うと自然と英語になる。しかし、同じヨーロッパ語族の言葉で話しているから、単語だけでも30%くらい類推出来るので、日本語だとこうは行かないだろう。
Viosan の「ミネソタ(Minnesota)の遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ