暗い堂内から外に出ると、眩しい日差しで目が眩む。秋とは言え、今日は珍しく好天である。この近くにモーツアルトか絶頂期の1784年から4年間住んでいたフィガロハウスがある筈だ。シュテファン教会から3~4分歩いたドムガッセという細い小路にある。
ここには我々も1972年のウイーン訪問の際に訪れているのだが、残念なことに月曜日で休館日であった記憶がある。当時は建物の通りに面した壁はこんなに黄色に塗ってなかった。4半世紀過ぎて、フィガロハウスも何か変わったのだろうか。階段を昇って2階へ入る。モーツアルトが住んでいた頃から250年もたって、当時の面影は殆どないと思う。遺品もザルツブルグのモーツアルトの生家に比べてもかなり少ない。
ここの2階の全部屋を借りて、コンスタンツェとともに住んで、どのような毎日を過していたのだろうかという想いが脳裏をかすめる。16歳のベートーベンが初めてウイーンに出て来た短い期間にここを一度訪れている。モーツアルトの前でピアノの演奏している。最初は自分の作品を披露し、その後モーツアルトの要望で即興演奏したらしい。モーツアルトはこの事に関しては、間接的な言い伝えだけで、直接言い残していないが、やはりベートーベンの天分は見抜いていたと思う。本当の天才は自分の才能だけでなく、他人の才能を見抜く才能も備わっているものだ。ハイドンも訪れている。ハイドンセットと呼ばれる弦楽四重奏曲をハイドンに贈っているからだ。
ここで作曲した「フィガロの結婚」はオペラブッファの見本みたいな作品である。モーツアルトはイタリアに行った時からオペラセリアでなくてオペラブッファを作りたいと言っていたらしい。
イタリアのナポリで1736年に26歳の若さで亡くなったペルゴーレージが作った演劇の幕間に演じる短いお笑いコントが始まりらしい。彼の「奥様女中」は大成功を収めたのだが、男と女の2人の登場人物だけの掛け合いである。レシタティーヴォとアリアの繰り返しで、いまCDで聴くと曲としては面白いが、イタリア語の歌の意味が解らない。
ペルゴレージはむしろ「スターバト・マーテル(悲しみの聖母)」が有名だ。弦楽器と通奏低音のバックでソプラノとアルトの歌手が歌う聖歌だが、何とも美しい曲だ。
私のオペラ嫌いはこのオペラブッファの影響がある。今思えば、若い頃は真面目と言えば真面目だったに違いない。オペラに笑いを持ち込むとはけしからん、という想いだったのかも。
Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ
