ウィーンの街を歩くのに、近くのシュテファン教会から始める。シュテファン・プラッツに立つと 1972年にここに来た時のことを思い出す。あの時のシュテファン教会は真っ黒い建造物というイメージが強かった。数百年にわたって、積もりに積もった煤の塊といってよかった。今でも黒々としているが、余りピカピカに磨いたシュテファンなど想像しがたい。その後、パリやロンドンなどヨーロッパの街は煤を落として見違えるようになる。ウィーンでも例外ではなかった。
14世紀中葉に完成した南塔は如何にも無骨で堂々とした塔で107メートルと高い。だから、この塔はウイーン街の何処からでも望めるランドマークになっている。(ヘッダーの写真を参照してください)
シュテファン寺院は、私にはモーツアルトの葬儀抜きには考えられない。勿論、音楽家でもこのシュテファンで葬儀がおこなわれたのはモーツアルトだけではないかもしれないが、どうしてもモーツアルトに結び付いてしまう。それは1791年の12月の寒い日だった。まだ35歳の若さだった。シュテファン教会のなかの十字架礼拝堂で葬儀が執り行なわれ、市外の聖マルクス墓地の貧民のための共同墓地に葬られた。今では埋葬場所は不明である。墓地に行ってもモーツアルトの墓はない。あるのは記念碑だけ。
1827年に56歳で死んだベートーベンの葬儀には2万人が参列し盛大で厳粛であったのと比べたら、同じ音楽家なのに、親族と数人の友人しか参列しなかった葬儀の余りの違いに愕然とする。
皇帝が変わり時代が変わったと言えばその通りだが、ただ不運だったの一語に尽きる。ただ天から賜った稀なる音楽家の魂が跡形もなく天に召されたとしか言いようがない。まさに「天の風になって」である。
Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ