クロアチアなの - 051 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

「イタリアではないと思うけど、出身はどこなの?」
私は英語で訊いてみた。
「クロアチアよ」
女房が答えた。
「えっ、クロアチアなの」

一瞬考え込んでしまった。
「クロアチアか。大変ですね。2人の幸運を祈りますよ。ミュンヘンでがんばってね」


 私にはそれしか答えられなかった。クロアチアを逃れて、ミュンヘンに来て働いている夫婦。店を借りて食堂を開いているくらいだから、ある程度の蓄えはあったのだろう。しかし、ユーゴの政治情勢やセルビア人とクロアチア人の紛争、国連軍の監視などの話したところで何の意味があろうか。共産主義者のチトーがいなくなればユーゴスラビアは分裂することは判っていたのだから、考えても意味がない。


 私たちは彼等に何が出来るのだろうか。この店で出来るだけ食べて飲んであげるだけだ。そして、彼
等の不運に理解を示し、彼等の未来に成功を祈るしかないではないか。


 バターソースのショートパスタはまあまあ美味しかった。
「元気を出して、頑張ってね」
我々にはこの言葉しかなかった。
「有り難う」
クロアチアの2人は答えた。
私達はドアを押して雨がぱらつく暗い夜の通りへ出た。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ