ヴァイオリンは遠い存在に - 20 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 私は就職して弾くのをやめてしまった。丁度、神武景気の後で、会社の業務が忙しく、ヴァイオリンを弾いている暇がない。仕事から帰宅するのは夜遅くで、週末は疲れ果てて、ヴァイオリンを弾く気にもなれない。せっかく甥たちが私のことをヴィオおじちゃんと呼んでいたので、もう弾かないのは残念だったが、やもうえなかった。この時期、楽器を諦めた友人達が多かった。当時は仕事第一だったから。それに住宅事情も悪かった点もある。


 定年が間近になったころ、「定年後に何か趣味を持たなきゃ」と考えたがヴァイオリンを弾くことしか思い当たらなかった。


 丁度、自転車やスケートを子供のときに覚えると、長い間乗らなくとも自然と身体が覚えている。外国語は10歳くらいまで外国にいてマスターしても、ずっと話す環境にいなければ、大人になって聴くことも話すことも忘れてしまう。専門家でないので解らないが、脳の記憶システムが違うからなのだろう。不思議である。


 楽器も歳をとってから覚えると、その後長い間弾いていなくとも弾くことはできる。しかし、若いときに覚えた自転車でも、暫らく乗っていないと、若いときのようには乗れない。人ごみの中や細い道をスイスイとはいかない。楽器も同じだ。


 妻のノッコが結婚して以来35年以上も離れていたチェロを近くの先生について再開し始めた。私も35年以上ヴァイオリンと離れていた。私と同じくやめていた友人達も、中年を過ぎ、埃をかぶっていた楽器を引っぱりだして再開し、皆でアンサンブルをつくって楽しんだ。


遠い夏に想いを-35  再開に当たって新作楽器を手にいれ、現在、老骨に鞭打って何とか弾いている。35年のブランクと筋力の低下は計り知れない。大学時代の仲間7~8人で始めたアンサンブルが、上手な後輩が参加してくれて、今では50人以上のオーケストラになった(写真は練習準備中の仲間たち)。


 若い頃のように気合で何とかなる歳ではない。集中力も、視力も、肉体的にもハンデを負っている。上手くならないが、まあ楽しめればいいと思っている。


 歳をとってからヴァイオリンを始めた皆さんも楽しむことを第一に続けてください。きっと、あなたの人生の宝ものになるでしょう。


 ドイツにプロの音楽家だけの老人ホームがあるらしい。テレビで見たことがある。年老いて歩くのがやっとというおじいちゃんがおばーちゃんのピアノ伴奏でヴァイオリンを弾いてみせた。彼の弾くベートーベンのト長調のロマンスは枯れた小枝のように震えていた。だが、曲の表情には陰影と味わいがあり、とても興奮したのを覚えている。


 私の弾くモーツアルトはモーツアルトになっていないが、それでも構わない。モーツアルトが大好きだし、彼のソナタは40曲以上ある。


 その昔、シモン・ゴールドベルク(ユダヤ系)とリリー・クラウス(ユダヤ系)の弾くモーツアルトはレコードで聴くだけだが素晴らしかった。やはりレコードだけだがクララ・ハスキル(ユダヤ系)とグリュミオーのコンビのモーツアルトも大好きだった。モーツアルト弾きの名手と呼ばれる演奏家がいた。モーツアルト演奏にはスペシャリストが必要だ。現在ではヘブラーとかピリスが弾くモーツアルトのピアノ曲には華麗さと軽妙なタッチと輝きがある。


 モーツアルトのレコードの埃を払いながら、過ぎ去った少年の日に想いを巡らしていた。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ