クレア、最後の夕食 - 020 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

遠い夏に想いを-rairway bridge  まだ時間は早かったが、真直ぐクレアに戻った。ビーグル犬を連れて夕方の散歩に行くことにする。チャールズとノッコと3人で出かけた。古道具屋「クレア・アンティーク・ウエアハウス」の坂道を下ってストゥア川に出る。小さな川だが、ゆったりと流れる。川に沿ってゆっくり歩いた。川に沿って鉄橋の跡が残っている。


 ビーグル犬も歳をとっているので、おとなしくついてくる。ビーグルは、シュルツのスヌーピーでもお馴染みのように、小犬の時は物凄い悪戯づきで、どうにも手におえない。だが、歳老いて、歩みもゆっくりだ。


遠い夏に想いを-stour river  夕日が川面に映って美しい。暫く行くと、左手に林が見える。林の中に小さな空間が開けている。
「ほら、となりのトトロみたいよ!」
ノッコが叫ぶ。



遠い夏に想いを-wood pass  まるで、宮崎アニメの「となりのトトロ」でメイちゃんが迷子になって、姉のサツキがトトロを探して入っていく森の細い道をみたいだ。そんな森の小さな空間を抜けると、突然、視界が開け、「トトロ」ならぬ飯場小屋のような建物が目に入った。









遠い夏に想いを-old station  チャールズによると、かって、ここに鉄道が通っていたそうで、線路は全部撤去されたが、駅舎の一部が残っているのだと言う。グレート・イースタン鉄道のストゥア渓谷線として鉄道が開通していたが、1967年に廃線となった。


 鉄道の先進国である英国は、殆どが私鉄だから、採算が合わなければ、廃線になってしまう。どこの国でもおなじで、日本も例外ではない。町の人達にとっては、不便だろうが時代の流れで仕方がなかろう。この旧駅舎からクレアの町に向かって歩いて行くと、公園の入り口のような立派な門がある。門を出たところがクレアの広場のすぐ脇になる。


遠い夏に想いを-commons  まだ時間があるので、セントピーター・セントポール教会の脇を通り北へ10分くらい歩くと、左側に何もない芝生だけのコモンと呼ばれる広い土地がある。ここの由来を記した小さな標識がある。それによると、もともとここにはマナー・ハウスが建ち並ぶ荘園だったが、これが廃墟になって取り払われた。


遠い夏に想いを-catherine  16世紀になってヘンリー8世の最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴン(メアリ女王の母)がこの地をクレアの貧しい人達にクレア・コモンとして与え、共同の牧草地にした、と記されている。こんな田舎の町の何もない駄々の野原にキャサリン・オブ・アラゴンの名前が突然出てくるとは驚きだった。







遠い夏に想いを-swan pub  夕食は外でとることにして、町のパブ「スワン」に行った。クレアに来る日の途中、夕方に立ち寄ったパブのように賑やかではない。


 チャールズによると、その昔イギリスは一種の階級社会で、それがこのパブに現れているという。昔は一軒のパブが真ん中で仕切られていて、労働者階級と中産階級とが別々に酒を飲んでいたらしい。ここのパブにも真ん中が仕切られている。勿論、現在ではこんなことはない。ただ、右側の方は食事ができる。反対側は酒を飲むだけ。イギリスではパブなどでビター(ビール)を飲むときは、ビールだけをちびちびやる。日本人のようにぐいぐいやらないし、つまみなどは見当たらない。


遠い夏に想いを-swan sign  ビールを飲んでいるのは元気のない老人達が殆どで、古い建物の店は静かな雰囲気だった。白鳥の看板はイギリスで最も古いパブの看板で1415年にまでさかのぼるという。建物も17世紀のままで手入れして現在に至っている。食事はパブなので大したものは出ないが、クレア最後の夜の食事としては自宅で即席の料理で済ませるよりはましだ。


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