クレア、その歴史 - 013 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 朝が来た。寝室のカーテンを開けると、外には北国の爽やかな朝日が降り注いでいる。2階の窓から広場を見ると、白いブラウスの女性が長いスカートの裾をたぐり上げ、丁度バスに乗ったところだ。バスは2~3人の乗客を乗せたままエンジンの低い唸りとともに出て行った。階下へおりると、既に、チャールズと犬は散歩に出掛けた後だった。(下はクレアの地図)
遠い夏に想いを-clare map

 クレアは5~6世紀のアングロ・サクソンの時代、ブリテン島の王国の一つであったイーストアングリアに始まるらしい。戦術的に大変重要だったらしく、ストゥア川と湿地帯に挟まれた陸地を守るために塁城が造られたようだ。その後、ノルマンの時代になるとウイリアム征服王が一緒に戦った従兄弟のリチャード・デ・ビアンフェトという男にこの地をくれてやる。彼はこの地に城を建て、ド・クレアと名乗るようになる。ドゥームズデエイ・ブック(戸籍調べ)の1086年の項にクレアの記載があるそうである。城の敷地は20エーカーに及び、城には250人が住んでいたという。(写真はクレアの城塁の一部)
遠い夏に想いを-clare castle
 今のクレアは1,400人程の住民が住む小さな町。その地名の由来には諸説がある。最初に思いつくのが、そばを流れる小川のチルトン川の清らかな水の流れだ。アメリカのウィスコンシン州に「オー・クレール」という地名があるのを思い出す。


 もう一つの由来はローマ時代のクラルス(Renownの意味)という言葉から来ているという。ノルマン朝の頃はブドウ栽培が盛んで、クラレット(今ではボルドーの赤ワインをイギリスではこう呼ぶ)の呼び名もクレアに由来するという。ボルドーはアキテーヌ地方の一部で、百年戦争以前はフランス国王の婚姻関係のもつれからアキテーヌ地方はイギリスの領土であった。


 また、中世の時代クレアの諸侯はかなり力があったようで、ケンブリッジ大学にクレア・カレッジという名のカレッジがあるが、これはレディー・エリザベス・ド・クレアというこの地方の貴婦人によって14世紀初頭に設立されたケンブリッジでも2番目に古いカレッジである。


 ミネソタの遠い日々 - New (「別れ」を掲載) -
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学へ留学した記録のホームページにもどうぞ