異民族の侵入とイーリー聖堂 - 012 | 遠い夏に想いを

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アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

遠い夏に想いを-ely cathedral3  10世紀から11世紀のイギリスは異民族の侵入に明け暮れた動乱の時代だった。イギリスはもともとケルト人の国なのだが、ローマに征服され、ローマ人が5世紀初頭に引き上げると、アングロ・サクソンやジュート族が侵入する。ヴァイキングも侵入・略奪を繰り返し、デーン人も侵入する。アングロ・サクソン王国統一の後に、デーン人のカヌートが王国をつくる。そして最後に、フランスのノルマディー地方からノルマン人が押し寄せてイギリスを征服してしまう。


 ノルマンはもともとフランスに定住したヴァイキングで、フランス王がヴァイキングを抑えるためにノルマンディを公国として服従させる。王位継承問題からイギリスに侵入する。1066年イギリスを征服したウイリアム王はイギリスを分割して部下に分け与える。その時の体制が900年経った今でも維持されている。即ち、イギリスの土地は今でも千人ほどの貴族という名のノルマンの子孫や仲間達に分割所有されている。


 ロンドンだって数人の貴族の所有で、住人は全て借地人か間借り人ということになる。この国では民衆が蜂起して革命を起こし、土地改革でも実行しなければ何ひとつ変わらない。だが、ひとついい事がある、東京のようにめちゃくちゃな細切れ状態で際限なく開発されないことだ。日本は外国の植民地になったことがないから理解しづらい。


遠い夏に想いを-ely 堂内02  この聖堂は幾多の困難をくぐり抜けてきた。869年のデーン人の襲来の時には教会は完全に破壊され、多くの僧侶や尼僧が殺されたという。廃墟と化し放置されたままだったが、970年にベネディクト派の修道院として聖堂は再建される。


 1066年ノルマンによりイギリスは征服され、イーリーのサクソン人は果敢にたちむかうが、ノルマンには敵わず、降伏してしまう。重い罰金などが課せられたが、聖堂は大丈夫だった。その後ノルマンの管理下におかれ、サクソン葬式の部分はノルマン様式に改築されてゆく。


遠い夏に想いを-ely ovin stone  それではこの寺院にサクソン時代のものが残っているだろうか。残念ながらノルマンがすべて破壊してしまった。ただ「オヴィンの石」という素朴な石の塔が残っているだけだ。







遠い夏に想いを-octagon  この教会での見どころはオクタゴンだろう。教会の両翼と身廊が交差する頭上に、ポッカリと開いた八角形の大きな明かり取りというか、小塔がたっている。ゴシックの教会を見た中でも、こうゆう明かり取りをもつ教会は初めてだ。


 1322年にノルマン様式の塔が一部崩壊した後、この場所を修理するにあたって八角形の明かり取りを建設することになり、その実現のために工事が始まった。八方向からのアーチ状の梁が天辺で交わっていない。ポッカリとあいた八角形の空間の上に、どうやって八角形のランターンをのせ、これを支えるか。建築力学的は大変な技術を要したらしい。ランターンを見上げると、そのオクタゴンの内側に画かれた絵画は素晴らしい。


遠い夏に想いを-ely 堂内01  更に、身廊の頭上一面に描かれた天井画が目に入る。19世紀中頃に地元の画家が画いた絵だというが、オリーブ色をベースに、宗教画の大作が板張りの天井に描かれている。何かラファエロ前派の画風を連想させる装飾的な絵だが華麗なことこの上ない。


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