イーリーの町 - 011 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 イーリー(Ely)というのは不思議な名前だ。うなぎを英語でイール(Eel)というが、どうも、その昔この地は湿地帯で、うなぎに関係があったのだろう。怠け癖のある坊主がうなぎに変えられた話があるが、これは余りにも出来過ぎだ。


 うなぎはイギリスでも食べられている。パイにしたり、ゼリー寄せにしたりしてレストランや家庭でも出される。現在はオランダあたりからうなぎを輸入しているらしい。


 本当はリンカンの聖堂に行きたかったのだが、北のリンカンシャーまで行くにはちょっと遠い。リンカン聖堂はノルマン王朝のウイリアム王の命で建てられた美しい教会なのだが。


遠い夏に想いを-st.mary cottage
 イーリーは寺町で小さな町だ。イーリーといえばイギリスでも有数の聖堂がある町だ。だが人を殆ど見かけない。といっても、奈良の法隆寺や当麻寺に真夏に訪れても、人に出会わないのと同じことかも知れないが。教会から少し離れたところの駐車場に車を止めて教会まで歩いた。教会の境内の周りが工事中で雑然としている。聖堂の前に小さな洒落た木組みの建物がある。セント・メアリーズ・コテージという宿泊施設らしいが、詳しいことは判らない。


 CathedralとChurchは大きさの違いに関係ない。カセドラルは司教座がおかれているし、チャーチは司祭がいて教区をもつ教会である。例えば、ロンドンのウェストミススター・アビーは有名で大きな寺院である。有名人も葬られているし、王様の戴冠式も行われる。しかし、カセドラルではない。名前の通り大修道院である。司教座はないからだ。イギリスにはカセドラルが42ヶ所、スコットランドに8ヵ所、アイルランドに6ヶ所あるといわれている。数が多いのに少々驚く。


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 境内の芝は夏枯れしている。何か真夏に奈良の法隆寺や大麻寺を訪れた時の感覚に近い。だがものすごく重厚な造りだ。堂内は天上が高く、想像したより明るい。ここにも人がいない。訪れる人がいない。この大きなお堂の中にいるのは、我々3人の他に2人くらいだろうか。


遠い夏に想いを-ely cathedral02  ロマネスクとゴシックが同居しているが、やはりロマネスクの部分は少ない。この教会の歴史はサクソンの時代にさかのぼる。サクソンのイーストアングリア王国のエゼルドレッダ姫がその人だ。652年に地域の王子と結婚する。彼はエゼルドレッダ姫に結婚祝にとイーリーの土地を与えた。その後彼が亡くなり、665年に北のノーサンブリア王国のエグフリッド王子と再婚する。当時は純潔が尊ばれ、夫婦関係はなかったに等しいという。王子は彼女を地方の修道院へ送り込むのだが、王子が夫婦関係を成就しようとしているとの噂を聞きつけて、彼女はイーリーに逃げ込み、673年に小さな僧院を建てた。そして、僧侶や尼僧が住みだした。これがイーリー聖堂の始まりだという。

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