競馬の故郷 - 007 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

遠い夏に想いを-moulton bridge  さて、車を飛ばして次にやって来たのはニューマーケットの手前にあるモールトンという場所。ここに何があるのかというと、あるのは古い石の橋だけ。今は橋の下に川は流れていない。かって洪水が起きて、今は貯水池で管理し、夏と秋は水を流さず、冬と春には川の水を流すらしい。橋も鎌倉の太閤橋よろしくかなり強いアーチ型をしている。橋の下の河床には新しくコンクリートの車道が通っている。

遠い夏に想いを-sign  「英国遺産」の看板が上がっている。ノッコがじっと見つめて、首を傾げている。看板の文字はところどころ欠落していて判読が難しい。「モールトン・パック・ホース・ブリッジ」と名前がある。川はケネット川というらしい。この先にケネットという場所があり、ダーラムを通って流れる川らしい。15世紀中頃の構築物でケンブリッジから東のセント・エドマンズへ通じる旧街道筋にある。





 ここから左に曲がって、西のニューマーケットまでさして時間は掛らない。間もなくニューマーケットの丘の上に出た。


遠い夏に想いを-new market

 広大な敷地に馬の厩舎がある。更に進むと、手前は広大な放牧地で調教中の馬が見える。その先にニューマーケットの街が一望できる。馬に興味のある人なら、ニューマーケットを訪れるためだけに、イギリスに来るかもしれない。私は競馬には全く関心がないので、丘の上からこの広大な牧草地を見られただけで満足だ。


遠い夏に想いを-horse training

 私は札幌の出身だが、大学で東京に出てきて以来、日高の牧場にも行ったことがないので比較しようがないが、とにかくニューマーケットの丘は広々として雄大な眺めだ。


 もともとここは馬の伝統がある場所なのだ。AD61年頃、イギリスを圧制して、悪政を繰り返すローマ人に対抗するために立ち上がったケルト人の王妃ボーデキアがいたのもイギリス東部のこのあたりだ。彼女が馬を駆って指揮した戦いで、ローマ軍の兵400が戦死し、部族民は8万人も死んだ。戦いの決着がついたあと、ボーデキアは毒を飲んで自殺した。ローマ最悪の帝政時代で皇帝としてネロが支配していた。


 彼女が馬を飼育していた場所もこのニューマーケットだという。そして、一躍この場所を有名にしたのがスコットランドから来たジェームズ1世である。最初はしばしば狩りに来ていたようだ。後に、ここに宮廷を置いて馬に熱を上げる。記録に残っている競馬としては1622年が最初で、ここニューマーケットで行われた。しかし、今のようにニューマーケットを馬のメッカにしたのはチャールズ2世だ。


遠い夏に想いを-tower  車で丘を下って町に入る。チャールズは街には全く関心がない。だから、ニューマーケットの街には止まらず、ジュビリー・クロック・タワーのロータリーを廻り、ハイストリートを通って次の場所へ車を走らせた。









遠い夏に想いを-way to abby 「まだ、時間が早いから、イーリーの前に一ヶ所寄って行かないかい」
チャールズが、突然、言い出した。
勿論、ニューマーケットとイーリー以外はチャールズ任せだから異論はない。

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