懐かしの英国 - 001 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 なぜかヨーロッパ旅行は8月9日の出発になる。今年もそうだった。偶然とはいえ、ノッコの誕生日なのである。 今年は1990年のヨーロッパ旅行とおなじく箱崎のCATヘ行き、1階のUAのカウンターでチェックインし、税関で出国手続きをすませて、バスで成田へ行った。


遠い夏に想いを-virgin air  11時発のバージン・アトランティク・エアのVS901便。ヴァージン・レコードのリチャード・ブランソンが始めた新しい航空会社だ。使用機のエアバスA300は座席が全て2列で、そのうえ、足回りも比較的ゆったりとしていて、2人だけの個人旅行には快適である。1995年7月からヒースロー空港発着が開始されたばかり。


 今回もシベリアの上空を飛んで行く。デンマークのスケーン岬の上空を経て南下するのも前回の全日空とおなじルート。今年はロシアの上空を抜けるまで眼下は一面の雲におおわれ、ノッコは早々に地図と地上とのにらめっこはギブアップする。今度はイギリスだけの旅だ。


 チャールズのお母さんが亡くなって、バックハースト・ヒルの家を売り払い、越していったサフォークのクレア周辺とテムズ上流、更にロンドン近郊を回ってみようと思っている。何故彼はバックハースト・ヒルの家を手放したのだろうか。エセックスとはいえロンドンから地下鉄で通えるし、今は閑静とはいかなくとも、まあ住むには便利なところだ。イギリス特有のセミデタッチの家だった。両親が生きていた頃は隣には気のいいお人好しのスケルトンさんもいた。両親とスケルトンさんか亡くなって、スケルトンさんの娘さんは事ある毎に小言を言って小うるさい。それに母親っ子だったチャールズには同じ家に住んでいると、昔のことを思い出して堪らなくなるらしい。そんなこんなで、こんなど田舎に引っ込んだのだと言う。


 成田での出発が90分遅れたために、ヒースローには1時間遅れの5時に到着した。到着ロビーにはチャールズの姿があった。5年前よりかなり老けて見えるし、どことなく疲れたような表情をしている。笑顔にも力がない。しかし、なぜかイギリスに来るとホッとする。緑が多く、街もゆったりとして、人々は暖かい。フランスもイタリアもドイツもオーストリアもみな人々は暖かいのだが、やはりイギリスは肌にあうのかも知れない。もしかしたら、チャールズという友人がいるためかも知れない。


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 駐車場でおなじみの白のワーゲンに乗って出発した。この車、相当のオンボロだ。相変わらずエアコンもついていない。エンジンのうなりが昔より大きくなったが、まだ何とか走る。今回はサフォークの田舎を廻るのから、車がないとどうにも動きがとれないので、とにかく有り難い。(上の地図:赤字は今回のサフォーク周辺、青字は前回の旅)


 夕方だが、イギリスの夏は太陽がまだ高い。ヒースローはロンドンの西にあるので、チャールズの住むサフォークへはロンドンの北西側を迂回して北上することになる。


 窓の外に目をやると、何ということだろう。見渡すかぎり枯れ草が延々と広がっているのだ。そして、この暑さ。湿度は低いが、東京の暑さと変わらない。エアコンがないので、窓は開けっぱなし。風が入ってきて、後部座席にいるノッコの髪はぐちゃぐちゃなる。5年前のイギリスと同じだ。いや、今年はもっと悪い。緑のないイギリスの平野はミルクのない紅茶よりひどい。どうして来る度にこうなのだろうと恨めしくなる。

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