サン・マルコ美術館 - 083 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

遠い夏に想いを-サン・マルコ  サン・マルコとアカデミアはフィレンツエに来るたび(と言っても、3回目だが)寄らずじまいだった。だから、ウフィッツイなど前回まで必ず寄っていた所を犠牲にしてでも、この2ヵ所はぜひ来たかった。アカデミアの前面は工事中で櫓が組んであり、その下に70メートルほどの行列が出来ている。時間の関係でこれを後回しにして、サン・マルコへ行った。


 ここは、殆ど行列は出来ていないので、わりと直ぐに入ることが出来た。薄暗い廊下を抜けて、階段を昇り、踊り場から見上げた途端「あっ!」と声を出してしまう。そうだろうと予想していても、見上げた瞬間「あっ!」と声を発する。


遠い夏に想いを-フラ・アンジェリコ01  『あの絵』が見えるからだ。フラ・アンジェリコの画く主人公はどうしてこう優しいのだろうか。僧坊の各部屋には、みなフレスコ画が画かれている。全部フラ・アンジェリコだ。フラ・アンジェリコはダ・ヴィンチよりも65年も先に生まれている。ルネッサンス初期の僧侶兼絵師である。フィリッポ・リッピは性癖が良くなかったが、同じく僧侶兼絵師なのだ。サン・マルコはメディチ家の援助により再興された教会である。


 でも、こんなに多くのフラ・アンジェリコの絵があるとは想像もしなかった。全部見て回った。もう一度、いや、何度でも見たくなる。


遠い夏に想いを-フラ・アンジェリコ02  僧坊の中にも、同じ『受胎告知』の絵がある。こちらは大天使ミカエルもマリアも立ったままで、マリアの神妙な表情は同じだ。ミカエルは高圧的にただ告げている感じだ。


 階段の上にある有名な『受胎告知』の絵は、天使が膝を折ってマリアより頭を低くして、ひそひそと話しをしている気配で、マリアの「えっ、ほんとですか? まさか!」と上目遣いで不審に思っている表情がいい。



 最近日本にもやってきたダ・ヴィンチの『受胎告知』は大天使ミカエルもマリアも余りにも表情が冷たくて、好きになれない。むしろ、イギリスのラファエロ前派のロッセッティの『受胎告知』は告げているのが大天使ミカエルらしくないが、マリアの表情がとてもいい。


 マリアの「処女懐妊」についてはさまざまな議論がなされてきた。『イエスのミステリー』(1993年-NHK出版)でバーバラ・スイーリングという女性が面白い説を唱えている。戦後発見された『死海文書』の関係を云々しているが、これはエッセネ派というキリスト以前のユダヤ教の一派についてだから、多分直接関係はないように思える。それに処女懐妊の記述については4福音書のうち『マタイ伝』と『ルカ伝』だけだ。


 そして女史によると、当時の集団のなかでは婚約・結婚に厳格で複雑な取り決めがあったらしい。正式な婚礼の前に身ごもってしまったら、「処女懐妊」とみなされ、その子は非嫡出子となってしまう。マリアの場合も同じで、イエスは私生児扱いになる。救い主はダヴィデの血筋からくると言われていたので、イエスは処女懐妊で生まれたとしたのだろう。マサダの戦いで西暦70年に自滅したイスラエルの人達がヘレニズムの世界に散っていき、ギリシャ語を話すユダヤ人がギリシャ神話に登場する処女懐妊説を布教のだめに広めたのではないだろうか。実際は、「受胎告知」でいう聖霊とはダヴィデの流れをくむ夫ヨセフ(救い主はダヴィデの子孫からという伝承があった)のことだという。当時のユダヤ教の一派では、「天使」とは司祭をさしたという(天使は男性の姿で現れるのが普通)。


遠い夏に想いを-フラ・アンジェリコ03  また、ある僧坊に『最後の晩餐』がある。ここでは、L字型のテーブルに、こちらを向いて使徒が8人が座り、キリストが中央に立って、左手前に4人の使徒がいるという構図である。『最後の晩餐』ほど色々な構図で描かれたモチーフも珍しい。しかし、ジオットのきびしい目付きの聖人達の絵と比べて、アンジェリコの描く人々はなんと穏やかで優しい目をしていることか。右側の4人の中で後輪の黒い人物が多分ユダであろう。ユダに後輪がないのが普通だが、黒くとも後輪をつけてあげるフラ・アンジェリコの優しさが伝わってくる。このフレスコ画にはマリアと思しき人物も描き入れられている。


遠い夏に想いを-サン・マルコ02  中庭に下りて、回廊をゆっくり散歩しながら、今見てきたフラ・アンジェリコに思いを馳せた。すっかり、フラ・アンジェリコが大好きになっている自分を発見し、少々の驚きがあった。