オルガンの響き - 082 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 ピッティを過ぎてサン・フェリーチェ広場とう小さな広場を右に曲がる。マゼッタ通りを少し歩くと右側にサンテ・スピリト教会があり、更に暫らく行くと左側にサンタ・マリア・デル・カルミネ教会がある。


遠い夏に想いを-マザッチオ01  カルミネ教会のブランカッチ礼拝堂にはマザッチオの『楽園追放』と『貢の銭』のフレスコ画がある。『楽園追放』(写真の左側の絵)は線ではなく彫刻のように面で描いたヴォリューム感と豊かな表情は真に迫るものがある。『貢の銭』(写真の右側の大きな絵)はイエスと12人の使途一行を描いたフレスコ画だ。余り見受けない主題である。一行に税を要求する収税吏を描いた福音書の一場面を描いたフレスコ画で、背景を含め絵の構成が素晴らしい。マザッチオは初期ルネッサンスの画家で、その遠近法などの革新さが際立っている。



遠い夏に想いを-アルノ川02  外に出ると、とにかく暑い。真っ直ぐアルノ川まで歩く。カッライア橋を渡って反対側に出る。こちら側は日差しが強いのだが商店が並んでいる。しかし、大半は3時半まで閉店だ。ウフィッツイまで歩いてみたものの、ここはものすごい列だ。ポテ・ヴェッキオまで行列が出来ている。フィリッポ・リッピやボッティチエリやダヴィンチに会えないのは寂しいが、前回来ているから諦めることにする。



遠い夏に想いを-シニョリーア02  夕方、早めに夕食をとる。シニョリーア広場のヴェッキオ宮の前にあるロッジア・デッラ・シニョリーアの並びの建物に突き出したピッツエリアのテラスで簡単に食べる。


 今夜はオルガンの演奏会が近くの教会で催される。ダンテの家の近くにコルソ通りがある。それに面して小さいが、がっちりした造りの教会がある。


 サンタ・マリア・デ・リッチ教会だ。正面の祭壇はなかなか豪華である。ここの教会ではよくアマチュアの演奏会も開かれるらしい。オルガンは伝統的なスタイルのものでなく、何やら近代的な方式で、演奏家は祭壇の前で客席と同じ高さで演奏する。とい言っても移動式のオルガンではない。イタリヤの教会独特の響きはするのだが、オルガンの音色はシンセサイザーのように固くイメージしていたのとは全く違う。


 イタリアでも鍵盤楽器の名手がいない訳ではない。ドメニコ・スカルダッティだ。バッハやヘンデルに勝るとも劣らない素晴らしいオルガン奏者で、チェンバロの曲を沢山残している。スカルラッティはナポリ生まれで、スペインで一生過ごした。


 今夜のプログラムはフレスコバルディから始まってバッハ、リストでお終い。バロックを中心の選曲だが、耳には心地よいと言う響きではなく疲れる。やはり、イタリアの教会はドイツやフランスおゴシックの教会と違ってオルガン演奏には向いていない。何よりも、教会がオルガン向きに出来ていないのだ。イタリア・バロックは器楽曲全盛だ。コレルリ、ヴィヴァルディ、ヴェラチーニ、ジェミニアーノ、タルティーニ等の時代以降、モーツアルトなどが出てきた頃には、イタリアの器楽の系統は消えてしまう。ベートーベンはタルティーニが死んだ年に生まれている。バロックから古典派への流れに象徴的な感じさえする。ベートーベンの頃にはドニゼッティなどが出てきてオペラが全盛になって来る。ドニゼッティは器楽曲も結構書いているが、やはいり『愛の妙薬』などのオペラしか知られていない。


 ロッシーニがウイーンで大人気で、ベートーベンなどは霞んでいた。モンテヴェルディなどの系統があるから歌やオペラが全盛になるのは理解できるが、行きつく先はヴェルディの全盛時代となって、プッチーニでイタリア音楽は終ってしまう。オペラは伝統芸術である。ベルカント風な発声で、イタリアはオペラの世界をリードして来た。バッハは最も古い伝統を守ったオルガニスト兼作曲家だ。音楽が数学のように自然科学として扱われていたルネッサンスの精神を執拗に守る。イタリアが器楽で復興するのは20世紀のレスピーギを待たなければならない。だから、器楽演奏としてのオルガンの演奏会はイタリアではつまらないのだ。残念ながら、パリのサン・シュルピス聖堂のような素晴らしいオルガンの響きとは程遠い。

 ミネソタの遠い日々 - New (シカゴへの旅パート3を追加) -
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