サン・ジョヴァンニ礼拝堂 - 079 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 ポンテ・ヴェッキオからドゥオーモへ抜ける通り、即ち、ローマ通りのカフェで、カプチーノとクロワッサンの朝食をとる。


 今日は近くのチェレターニ通りの小さな聖堂、サンタ・マリア・マジョーレ教会から見ることにする。この教会は結構古く、最初の建物は10世紀にまで遡るのだそうです。教会の内部は薄暗く、何やら部分的な改修工事らしく櫓が組んである。見られるのは聖母子像だけだが、前はもっと奥の通り寄りにあったと思う。オルサン・ミケーレ教会に立ち寄って、隣の毛織物美術館に入ろうとするのだが、まだ閉まっていて入れない。


遠い夏に想いを-East Door  再びドゥオーモへ行く。ドゥオーモの前にあるサン・ジョヴァンニ洗礼堂には72年の夏に来た時に入っているが、前回の90年の時には入っていないので、今回はどうしても入りたい。時間がまだ早く洗礼堂は閉まっているので、ギベルティの有名な東門を眺めた後に、サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会へ入る。72年の時にはミケランジェロのピエタが置かれていたと思うのだが、今は通りの向うの付属美術館にあるらしい。建物の外観の美しさに比べて、堂内の装飾はわりとシンプルで、祭壇の周りのステンド・グラスとドームの「最後の審判」以外、目を見張るものはない。堂内を一巡してドゥオーモを出る。


遠い夏に想いを-s.croce  リカルディ宮を経由して、サンタ・クローチェ教会に行く。
「どうしてなのか判らないが、サン・マルコ教会に行くつもりが、毎回、サンタ・クローチェに来てしまう」
「どうしてだろうね。フラ・アンジェリコが見たいって、毎回言っていたのにね」
「前回来た時もサン・マルコ教会へ行くつもりがサンタ・クローチェに来てしまい、サン・マルコを諦めたんだよね」






遠い夏に想いを-Giotto01  しかし、何度来てもサンタ・クローチェは飽きない教会だ。16の礼拝堂があり、特にジョットが美しい。ガリレオ、ミケランジェロ、ロッシーニなどがこの教会に埋葬されている。街中の広場としては、サンタ・クローチェ教会広場はかなり広い。この広場では色々の催しものが開かれるらしい。








遠い夏に想いを-Pazzi  メディチ家の宿敵パッツィ家の礼拝堂を見る。ブルネレスキが建物をデザインしたらしく、特に回廊と小さな白壁のドームは大変に優雅で美しい。












遠い夏に想いを-San Giovanni  さてドゥオーモに再び戻る。サン・ジョヴァンニ洗礼堂が開いていた。ロマネスク様式でドゥオーモやジョットの鐘楼より古いらしい。72年の夏に来た時にも見たのだが、ビザンチン風の金色に輝く堂内は衝撃的だった。ラヴェンナを廻って来た今回は余り衝撃的とは言いがたいが、それでもすばらしい。ビザンチン風の金色のモザイクがまるで螺旋階段状に「最後の審判」や「福音書」の話が洗礼堂一面に描かれている。


 ここに有名な「天国の扉」と呼ばれる扉がある。ギベルティの作品なのだが、この時ブルネレスキが負けたために彼の作品が採用されなかった。そのため、彼はローマに赴き建築を学んだ。このコンクールに敗れたために、ドゥオーモのクーポラが出来たのかもしれない。それまで誰も出来なかったのをブルネレスキがやり遂げたのだから。


 今ある扉はレプリカで、本物は付属博物かにある。72年にきた時には、扉に本物がはめてあった。煤で汚れていた。腐食もあったらしく、レプリカでもしょうがないだろう。それに、レプリカを造ったのは日本人だそうだから。

 ミネソタの遠い日々 - New (シカゴへの旅パート3を追加) -
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