今回は、どの位の距離でどう行けばよいか判っていた。人混みの観光客の間を、荷物を引き引き歩くのも馬鹿馬鹿しいと思いタクシーに乗る。アルノ川のポンテ・ヴェッキオの直ぐ傍にホテル・アウグストゥスがある。前回訪れた時のホテルは街の北へバスで行ったところにあり、決して不便ではないのだが、ポンテ・ヴェッキオの直ぐ傍のこのホテルなら便利だねなどと話し合っていた。今回は、偶然に取ってくれたのがこのホテルだった。
制服をきちんと着込んだ年老いたボーイに案内されて部屋まで行く。内部は安普請だが意外とモダンで、白塗りの明るい作りだ。窓を開けてもアルノ川が見える訳でなし、特に眺めはいい訳でもない。
もう5時近かったが、直ぐに街に出ることにした。ポンテ・ヴェッキオの金細工店を覗きながら橋の中央に出る。大勢の観光客がたむろしている。アルノ川を眺めているのでもなく、街の景色を眺めているでもなく、ただブラブラと集まっている若い人達で溢れんばかりだ。
この橋はその名の通りフィレンツェで一番古い橋だ。12世紀初めに出来た橋も14世紀に出来た橋も相次いでアルノ川の洪水で流されて、1345年に作られたのが現在の橋だ。パリのポンヌフ(「新橋」だがパリで一番古い)よりも古い。
出来た当初、橋の上の商店はみな肉屋だったらしい。その後、野菜屋とか靴屋とか鍛冶屋などが店開きし始める。16世紀の末にこうした店舗が排除されて、金細工屋とか宝石商だけが店舗をかまえることが許されたらしい。家が建っていた橋は世界にもいろいろあるだろうが、昔のロンドン・ブリッジには民家や商店、教会まであったという。13世紀ごろに建てられて、17世紀のロンドン大火まで残っていたらしい。パリでもシテ島に通じるノートルダム橋とかプティポン橋など、かっては民家があったらしい。15世紀頃までに造られたユーラシア大陸の橋は家付きが多かったのだろう。
72年に初めてフィレンツェに来たときは、1966年のアルノ川の氾濫の泥の跡が川岸の建物の外壁に残っていた。2メートルくらいの高さまで泥がこびり付いていたのを思い出す。街中が水で溢れ、サンタ・クローチェの地区では浸水が5メートルにもなったらしい。あの時は絵画や古文書類が相当の被害をこうむって、修復するのに大変だったと聞いている。
そのまま橋の中央から引き返し、アルノ川沿いにウッフィツィまで歩く。この広場には余り人がいない。今日は日曜日でウッフィツィはどうゆう訳か1時で終わっている。明日は月曜日で休館だ。8月の月曜日は特別に1部開館とか何とか、それらしいことは書いてあるが、実際に開いているのだろうか。
ウッフィツィは以前訪れているので、今回はスキップした。ウッフィツィは英語のオフィスと同じで事務所をさす。16世紀にメディチ家のオフィスとして建てられた。(上下の絵はウッフィツィにあるボッティチェリの「春」と「ヴィナスの誕生」)
今はルネッサンス絵画の宝庫だから、見たいのはやまやまだが時間がない。
シニョリーア広場のすぐ傍のカフェでカプチーノをのむ。ここは昔、チャオと3人で立ち寄った記憶があった。帰りに、シニョリーア広場の片隅に音楽会のポスター(と言うより大型のチラシ)をノッコが見つけた。
「ほら、教会で音楽会があるよ」
「オルガンか」
イタリアでオルガンというのがピンと来なかったのだ。
「オルガンでもいわよ。夜はすることが無いんだから行こうよ」
そして行くことに決めた。ドイツやフランスならオルガンも悪くないがイタリアではどんなものか聴いてみなくては。
ミネソタの遠い日々
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