フィレンツェ - 073 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

遠い夏に想いを-airport  やっとフィレンツエに到着した。フィレツェは3度目だが、汽車で着いたのは初めてだ。72年と90年に来た時には飛行機で到着した。ペレートラ空港だった。小さくて大きな飛行機は離発着できない。昔も今も何一つ変わっていない空港である。
 空港バスの運転手は相変わらず英語が苦手である。72年の時はイギリス人女性の観光客がバスの運転手に英語で話しかけている。運転手は両手を挙げて困り果てている。見かねて下手なイタリア語で通訳をしてあげた。イタリア人とイギリス人の会話に日本人が下手なイタリア語で通訳してあげるなんて。この時は、ご婦人はバスに乗らずに行ってしまった。タクシーにでも乗ったのだろうか。
 また、90年に来た時には、やはり同じく、ご婦人が運転手にいろいろ問いかけている。何となく聞いていると、彼女はフランス語で訊いている。運転手は相変わらず解らずに、両手を挙げて困り果てた様子だ。やおらノッコが助け舟をだした。この頃はノッコはフランス語の医薬文献の翻訳や語学学校でフランス語を教えるかたわら、ロマンス語族ということでイタリア語の医薬文献の翻訳も手がけ始めていた。ご婦人はバスに乗るかどうか思案していたらしい。
「バスはどこまで行くの?」
「駅の裏の停留所までさ」
「タクシーで行くと、料金はどのくらい?」
「そうさなー、詳しいことは判らないけど、1万リラくらいかな。大してかからないよ。時間も、多分1
5分くらいかな」
「そう、じゃタクシーでホテルまで行くからいいわ」
と言って結局乗らずに行ってしまった。
 90年の時は、パリから着たばかりで、私はリラの持ち合わせがなかった。運転手に両替所の場所を聴くと、彼は両替の場所を教えようと、空港の両替所までついてきてくれた。多分、銀行の出張所みたいなものだが、丁度12時になり、目の前で昼休みの案内札を出して、係員が姿を消そうとしていた。私が大声で両替を頼むと、このバスの運転手が聞きつけてとんできた。大声で怒鳴っているが、係員は手を振って去ってしまった。
 その時はリラの持ち合わせが全くなくバスにも乗れなかったので、困り果てていたら、この運転手君、売店へ行って、おやじに大声で言う。
「両替してやれや」
「両替はしない」

 おやじはそっけない。それでも運転手君の執ようさに負けたのか、駄菓子を買ったら、本当にバス代くらいのつり銭を、率は悪いがくれた。イタリアの思い出は色々あるがどれも心暖まるものばかりだ。