フィデンツア - 072 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

遠い夏に想いを-fidenza02  フィデンツアでは、窓口に行ってボローニャまでの切符を買い直す。窓口には中年の女性職員がいるのだが、イタリア語しか話さない。
「ボローニャでフィレンツェ行きに乗るには何時で何番線ですか」
彼女はよその駅の事まで、すぐには分らないらしい。男性の駅員も寄ってきて、あれこれ調べている。


 ノッコと私でやっと乗車時間と乗り場を聞き出した。安心して行ける。フィデンツアは地図を見るともうミラノに近い。1時間半かけて、ボローニャに戻り、言われた通りの乗り場で待っていた。どーもおかしい。時間が迫っているのに、ホームの案内はフィレンツェの方向ではない。慌てて、ホームにいた駅員に聞いた。
「えっ、フィデンツアの駅員がここで待てと? 何を教えているんだ。あきれたもんだ。ここじゃないよ。反対側のホームに汽車が入ってくるから、急いで行きなさい」


 私達はまたもや違った汽車に乗る羽目になるところだった。急いで跨線橋を駆け上がり、反対側の乗り場に行った。「ハーハー」息切れしながら、やっと間に合った。もう歳だからのんびりなどと言ってられない。その時、汽車がホームに入ってきたので、慌てて乗り込んだ。


 フィレンツェ行きの汽車にやっと乗れた。ラヴェンナを予定よりも早く出発して、フィレンツェには1時頃には着く予定だったのに、リジョナーレが予定より遅れたのと、フィデンツア騒動で、この分だとフィレンツェには4時半頃になってしまいそうだ。


 汽車に乗って気持ちが落着いたら、何か損をした気持ちになった。せっかくフィデンツアで降りたのだから、どうして2時間くらい街を見てこなかったのだろうか。神様が我々をわざわざフィダンツアに来させたのかもしれないのに。と思うと、残念でもあり、動転していた自分達がおかしくなってきた。


 しかし、フィデンツアについては旅行案内書に何も記述がない。2万4千人ほどの小さい町で、町の聖堂が美しいらしい。急行列車が停車するのだから見るところはあると思うのだが、歩いても目ぼしいものは何もないのかも知れない。

 ミネソタの遠い日々 - New (シカゴへの旅パート3を追加) -
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