今朝は9時までミノツィに会いに行かなければならない。ホテルの一階のレストランで無料サービスの朝食を取り、荷物はホテルに置いたまま出かける。一度訪れているから道は近い。ブザーを押す。扉が開いてミノツィが現れた。
イタリア人にしては背が高く、30代とは思えぬ老けた感じだ。物腰も話し振りも穏やかだ。室中に案内されたが、工房は10畳もない広さだ。絵に描いたような楽器製作者の工房と言う感じはしない。ミノツィさんは若い時にパルマ音楽院で弦楽器製作課程で優秀な成績をおさめている。
私の手元にあるミノツィのヴァイオリンを写真に撮ってきた。彼に見せると、じっと見ていた。
「間違いないですね」
だが現物で無いので、何か自信なげだ。
東京の楽器屋に置いてあった『現代イタリアの弦楽楽器製作者百人』という本で住所を知ったことを告げる。
「チェロはありますか。ヴァイオリンは気に入っているので、チェロがあれば彼女に買いたいのですが。今、彼女が使っているチェロは100年前のチェコの楽器なのです。音は滑らかでいいのですが、音量がさほど無いので」
「今は売れるのはありません。これは売れ先が決まっているのですが、まだニスを塗っていないし、調整もしていませんが弾いてみますか」
そう言いながら真白いチェロを取り出す。
ノッコがそろりと音を出す。
「どうだい」
「凄くいい音。場所のせいで響くのかもしれないけど」
ヨーロッパの住宅は石造りだから、木造の日本の家屋よりも響きがいい。
「値段は」
「1,700百万リラです」
「110万円くらいかな」
私はノッコに呟いた。
「頭金が最低10%です。残金は出来上がった時に」
「今頼むと、何時出来ますか」
「来年の8月から12月くらいでしょうか。ネックを女性に合うように微調整してあげますよ」
「輸送はどうします」
「DHLで一週間くらいでしょう。費用は調べないと詳しくは判りませんが、300ドルくらいでしょうか。梱包は私の費用でやります」
ミネソタの遠い日々
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