旧市街の南西に位置するサン・ビターレ教会にも行った。5ヶ所の共通チケットを手に入れておく方が割安である。ラヴェンナの街は歩いて回れる範囲に史跡があるので助かるが、ノッコも私も息が切れる教会巡りとなった。
サン・ビターレ教会は6世紀前半に司教エクレシオによって建立され、その後548年に司教マキシミリアンによってバシリカが建てられた、かなり大きな寺院である。教会には緑が多い回廊もあり心休まる空間がある。
テオドリック王の時代とはと違って、モザイクの色調は金が主体で緑がアクセントに使われ、ビザンチン風である。ここの圧巻は『ユスティニアヌス帝とその廷臣たち』と『テオドーラ皇后と女官達』である。残念ながら、足場を組んで修復作業をしているので、その合間から覗くしかなかったが、まさにビザンチンモザイクの傑作であろう。
テオドリックが亡くなるとともに東ゴート帝国が衰退し、ユスティニアヌス帝が526年に東ローマ帝国の皇帝になった。(興味のある方には『東ゴート興亡史』(松谷健二・中公文庫)がおすすめ)
彼の后であるテオドーラはコスタンチノープル生まれの踊り子で、淫らで活発な娼婦だったらしい。東ローマ帝国の皇帝になる男は踊り子や娼婦などと結婚してはならぬという法律があったにもかかわらず、ユスティニアヌス帝の父のユスティヌス帝が息子のために法律をかえてまったという。そんな彼女だから、政治には口を出したらしい。ビザンチン文化の影響が濃い教会だが、美しさはこの上ない。
ここの近くに、ガッラ・プラキディア廟堂という小さな霊廟がある。ガッラ・プラキディアという女性は450年頃この霊廟を造ったが、ローマで死んだらしく、この霊廟には彼女の遺体は収められていない。彼女はローマの皇帝テオドシウス1世の娘で、波乱万丈の人生を送ったらしく、長年に渡りラヴェンナを統治していたという。
内部のモザイクは建物の外観からは想像も出来ないほど美しい。ビザンチン風の趣はなく、ローマ的な色彩が強いという。
ミネソタの遠い日々
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